会報8号

■ 参考資料

せきずい損傷(SCI)に関する
組織の歴史の概略(1975−1996)

         
ワイズ・ヤング (Dr.Wise Young)

出典 Spine Wire のHP 1996年1月18日
http://www2.spinewire.com/cgi-bin/templates/articles.html?section=16&record=

 下記は近年20年間の脊髄損傷の研究に関与した科学・臨床・民間それぞれの分野における組織の歴史の概略である。

 この10年間、あらゆる領域に変化がおとずれた。1975年に脊髄損傷を治療可能だと公言する研究者がいたとすれば、彼は国際的な会合において嘲笑をうけるか、または冷たい視線を浴びたであろう。

 当時、科学的であれ、臨床であれ、民間であれ、ほとんどの組織は脊髄損傷に対する治療はおろか、効果的な治療法についても議論しようとしなかった。1995年には、多くの科学者や臨床家が、効果的な治療が可能であるばかりでなく、10年以内に、確立する事が出来るのではないかと思っている。


 科学組織

 The Society for Neuroscience は、神経科学研究者の多くが属する主要な組織である。1980年、Society for Neuroscience は、SCI(脊髄損傷)に関する研究をひとつの領域とみなしておらず、"他方面にわたる"または"体性感覚システム"の領域に分類していた。SCI 研究者は公開討論会をする場さえもたず、また、機関紙もなかった。

 1981年、Society for Neuroscience が始まる前の週末に私的に10名程度の SCI研究者が集まったが、それがいずれ、Neurotrauma Society

 として、1988年にスタートすることになったのである。今日、Neurotrauma Society は脊椎・頭部外傷の先鋭研究者の多くを含む、約 500人のメンバーを有している。また、機関紙(the Jornal of Neurotrauma)を発行するととももに、毎年一回の会合も今年は15回目を迎え、サンディエゴにある神経科学協会にて400名以上の参加者を見こんでいる。

 1991年、日本の福島において、最初の国際神経損傷シンポジウムが開催された(神経損傷の研究を日本とアジアに紹介した)。その後、会合はグラスゴーで1993年に、トロントで1995年に開かれており、1997年の会合にはソウルが候補地として挙げられている。今年(1998年)、年2回会合を開催する INTS (International Neurotorauma Society:)が結成され、トロントでの INTSの会合には世界中から 800人が参加した。これらの組織が出来る以前には、SCI研究者と、頭部外傷を研究する科学者はお互いの領域について、ほとんど無知であったし、話し合おうとしなかった。しかしこれらの組織が、彼らを結び付け、研究室をこえての共同研究がさかんに行われはじめたのである。このようにして、ずいぶん発展の途をたどってきたのである。


 臨床組織

 脊髄損傷の専門家たちもまた、結びつき始めた。世界で最初の脊髄損傷専門組織は、1960年代にイングランドで始まり、年1回定例会を開催する IMSOP(International Medical Society of Paraplegia)であろう。アメリカ合衆国では1980年代初めに、理学療法士や整形外科医が集まり、ASIA(American Spinal Injury Association)が組織された。また、ほぼ同時に、棘手術に関する会合を年1回行っている国立の神経外科組織2つに属する神経外科医より構成される AANS・CNS 共同の外傷領域が現われた。CSRS(Cervical Spine Research Society)は、リハビリテーション、泌尿器科学や他の専門分野に重きをおいている。今や Japan Paraplegia SocietyやKorean Neurotrauma Societyなどのように、このような組織はたくさんの国にみられる。

 1979年、脊髄の観察や保護に興味をもつ臨床家を対象に the International Spinal Monitoring Society が組織され、年二回会合を持っている(最近ニューヨークで開かれた)。


 初期民間組織

 1980年、私は PVA (Paralyzed Veterans of America) と SCS (Spinal Cord Society), the Help Them Walk Again Foundation により開催されたアクティビティに参加したことがある。

 PVA は主に退役軍人の権利や、会合、そして陳情に関わっていた。

 SCS は当時ミネアポリスの若い一般群衆より構成されており、Dr.Chuck Carsonが作った組織を基礎としていた。そして、脊髄損傷の研究に資金を援助し始めた。

 PCRはワシントンDCにあるグループで、研究資金を援助しようとする、脊髄損傷者により結成されている。

 The Help Them Walk Again はラスベガスに本拠地を置く、患者擁護グループであり、1979年には、私自身も参加した、この頃にしては最も盛大ともいえる科学大会を開催した。

 [by D.W.][SCSは治療に目的をさだめた脊髄損傷研究の分野で進歩の littanyを生み出した。創立者である Dr.Charles Carson はアメリカ合衆国のレーガン大統領による大統領教書のなかで、合衆国の影の英雄として―脊髄損傷治療のために自らすすんで、計り知れない時間をささげたと英雄として言及された(1週間に80時間以上を越えることもしばしばであった)。

 SCS はたくさんの重要な研究プロジェクトに資金を援助してきた。その中で最も注目に値するものは、60分経つとすぐに、繰り返して特徴付けられる歩行動作をコンピューター処理することである。また、SCS は月刊で、脊髄損傷治療に関する独自の回報を出している。最後に、SCSは尽力を惜しまない人々が集まった、一般大衆による組織である。詳しい情報は
   218―739―5252まで電話して下さい]

 最も古い脊髄損傷基金の一つは脊髄損傷者の夫を持つ Trink Gardner により創設された。1970年代に脊髄損傷研究に関するBermuda Conferencesに資金を提供し、Walkman Awardに寄付をした。このWalkman Awardは1972年以来1年に二回与えられるもので、最も長く続いており、かつ脊髄損傷に関係する研究に対して与えられる、神経科学の中でも最も威信のある賞である。他の国では、イングランドで、1980年初頭に ISRT ( International Spinal research Trust Fund) が創立され、今現在はフランスやスイス,オーストラリアにも活発な支局がある。


 莫大な数の民間基金

 北アメリカだけで見積もっても、脊髄損傷研究を支援する民間基金は40を下ることはない。古くからのグループに、 Kent Waldrep Foundation と Steven J. Camhi Fund がある。1980年代に Marc Buonocanti Foundation とMiami Project がスタートし、SCI研究専門の世界的本拠地が築かれたのである。1990年にMiami Project は、ワシントン大学から Bunge夫妻(DickとMary)をマイアミに呼び寄せた。このようにして、このグループは SCI研究に関して、先導的な研究室とのひとつとなったのである。

 ほとんど全ての州で、地元に根ざした基金が設立された。NSCIA (National Spinal CordInjury Association) が1980年代に出来、SCIのケア議論の強力な擁護者となった。1980年代後半にはニューヨークでDaniel Heumann Fund と Alan T. Brown Foundation が設立され、研究に資金提供をし始めた。

  カルフォルニアでは Ameritec Foundation(Tom and Beatrice Hollfelder)が、脊髄損傷研究を対象に、年一回賞を与えるようになった。

 カナダやヨーロッパで、いくつかの著名な基金がある。カナダではCPA (Canadian Paraplegia Association), CSRO (Canadian Spinal Research Organization), Rick Hansen Man-in-Motion Foundationなどがそれである。

 イングランドでは、ASRT (Australasia Spinal Rsearch Trust) のような支局をいくつかの諸国にもつ ISRT (International Spinal Reseach Trust) が存在する。同様に、スイスにもいくつかの基金が存在している。

 これらのグループを統合しようとする試みのいくつかは失敗に終わった。1987年に、PVAは NCSCIA (National Council for Spinal Cord Injury Association)を構成したが、このグループは決して共に活動しようとはしなかった。また、資金提供に関する言い争いはこのグループを数年役立たないものとしてしまった。

 1993年、四肢麻痺である Arthur Ullian がNCSCIA の総裁となり、NCSCIA の使命を、脊髄損傷研究の連邦政府基金に関する議会への陳情とした。 SCI研究だけに留まるのではなく、むしろ全ての神経学研究を後押しする必要があると認識し、Arthur は NCSCIA の活動に補足して、END (The National Coalition to End Neurological Disorders を設立した。現場の影や、Dana Allianceのような教育機関と共に研究をしながらENDは議会やホワイトハウスのメンバー大勢と会見を持った。ENDとParalyzed Veterans of America はワシントンDCにおける脊髄損傷研究と神経学研究のもっとも有力な陳情組織である。   


 アメリカ合衆国の麻痺に関する組織

 1981年にPCRグループを本体として、APA が現われた。主に David Camhi とKent Waldrep によって支えられ、APA が最初に資金を援助したのは NYU Medical Centerであった。 3年間にわたる資金援助によって、ここでの実験は急性の脊髄損傷に対するメチルプレドニソロン治療を導き出した。また、慢性骨髄損傷に対する4AP治療を発展させたDr. Andrew Blightを補充した。そしてNYU Impactor(the now standard rat spinal cord injury)を発展させた Dr. John Gruner を支援した。研究の管理者である Admiral Dick M.D. Van Orden と共に、Kent Waldrepは APAの総裁になった。 David Camhi や Hank Stifel, Joe/Michelle Alioto などに支えられ、 APA は一年に5〜10の研究資金を与え、またたくさんの科学集会を支持してきた。

 1985年に、APAは財政難となり、Henry Stifel Foundation (Hank and Charlotte Stifel)の指導下におかれることとなった。 Kent Waldrep はダラスに NPF(National Paralysis Foundation ) を組織するために APAを去った。Aliotos はカリフォルニアに National Paralysis Projectを組織した。APA は合衆国内外で、たくさんの研究を支援しつづけた。若い研究者たちに3万ドルを援助し、研究に対して6万ドルの賞を設立した。何年にもわたりAPAは150以上の研究者に資金を与え、また、この領域に10名ほどのベテラン研究者 (Martin Schwab, Eric Shooter, Carl Cotman, Rusty Gage, Ira Black, and others)を引き込んだ。

 APAが研究へ資金援助する時には、同輩による厳しい科学的批評を参考にする。この科学的諮問委員会はこの領域において、もっとも優良である。


 The Alliance and Consortium

 1994年、Kent Waldrep は脊髄損傷研究に対して資金援助する資本合同を目的にしてAPAと同盟を結んだ。NPF とAPA はMiami Projectの代理人を含む科学的諮問委員会を併合した。この同盟は科学に資金援助するために共に活動する組織グループを引き合わせることとなった。この資金合同それ自体は、慢性脊髄損傷の新しい治療を発展を目指して合同研究をする7つの主な研究室から構成されている。

 Alliance and Consortium の本部は APA に置かれている。今のAPA総裁であるMitch Stoller の強い後押し、APAの研究管理者であるSusan Howley による立案指導, APA の指導者委員会の強力な指示を受けて、この 資本合同は仕事を開始した。これが始まりである。この資本合同の目的は離れた研究室が共に研究をするうようになることである。辛抱のある監視委員会が資本合同の活動を観察し、同盟にアドバイスを与えた。

 Consortium の研究室には分子・細胞システムにおいて、トップクラスの研究者が含まれており、彼らの科学技術や責任を考慮して選抜した科学を脊髄損傷治療に適用した。限られたスペースと記憶では、貢献した多くの人々に十分な名声を与えられるとは思わないが、少しでも手がかりになればと思っている。この領域の民間部門サイドについて詳細を述べようとするとすると一冊の本になってしまうだろう。たくさんの影の英雄がいるのだ。

 Charles Carson, Sam Maddox,
 Greg Winget, Ron Cohen, Benjamin Reeve,
 Shawn Friedkin, Ray Wickson,
 Larry Johnson, Lisa Hudgins,
 Peter Banyard, Margaret Brown,
 Marilyn Spivak, Bob Yant,
 Mary Ann Liebert, Vivian Smith,
 Cheryl Chanaud, Lesley Hudson,
 Walter Schafer, George Zitnay,
  Vivian Beyda, Tim Hanlin,
 David Mahoney, Gayle Stevenson
の他にも、たくさんの人々がこの領域を援助するために義務をこえて、骨を折ってくれた。

 Barbara Walters, Katie Couric, Diane Sawyers, Bill Utley,そしてもちろん Christopher Reeveなど、何人かの有名人が彼らの時間を割き、心を尽くしてくれた。政府内でも多くの人々が、助言や援助を与え、グループを助けてくれた。Murray Goldstein, Margaret Giannini, David Gray, Doug Walgrenらがそれである。本当に大勢の科学者や臨床家たちが、組織のために助言を与え、基金を集めることに、惜しみなく彼らの時間を捧げてくれた。また、私は産業の側面には、言及しないで終わる。 (訳:山本 千尋)





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