▼ 4月26日の深夜、 次男の嶺(17歳)がオートバイで転落事故を起こした。幸いすぐに救急病院に運ばれ、ステロイドの大量投与がされたが、両腕に激痛があり、手はかすかに動くが、下半身は完全に麻痺していた。触られているのはわかるが、痛みや冷熱の感覚はない。C7とT1の脱臼骨折と診断され、頭にリングを着けて1日牽引したが効果なく、5月1日に骨の修復固定手術が行われた。
手術後3日間は、激痛に加えて、40度近い高熱や、何時間も続く大量の鼻血や痰との闘いだった。1週間後、手は日増しによく動くようになり、握力もでてきたが、やはり胸から下は全く動かず、腹筋もきかない。2週間後、PTによる毎日20分の手や腕の運動が始まったが、脚のほうは関節の曲げ伸ばしを2回ずつだけで、「自力で動かすのでなければ、筋トレにはならない」「動くまで待つほかない」という。医師には「完全麻痺で、回復の可能性はゼロ」とまで言われた。
その頃、せきずい基金の資料を通じて、アメリカでは、失われた機能の回復を目指して早期のリハビリが行われていることを知り、残存機能の強化だけの日本のリハビリとは、全く考え方が違うということがわかってきた。
事故から1ヶ月目、右足の先がかすかに動き始めた。一方、関節は日に日に固くなってくる。それなのに県立のリハビリセンターは満床で2〜3ヶ月待ちだという。知人が紹介してくれたワシントン大学のSCI(脊髄損傷)担当教授に相談したところ、「2ヶ月も待たせるなど論外、奇跡を約束することはできないけれど、まだまだ回復期なのだから、できるだけがんばりましょう」と励まされ、渡米の決意を固めた。
6 月6日、同大学病院に入院。翌日から早速、着替えや車椅子への移動を自力でやる訓練が始まった。日本ではすべて看護婦さんまかせで、本人も周囲もできないものと思いこんでいたことが、最小限の手助けだけで自力でやるこつを教えてもらうと、数日でほとんどできるようになってしまったのにはびっくりした。
3日目からは、支持器具を使って立つ練習が始まった。初めはめまいがしたり、苦しくなったりしたが、少しずつ時間がのびて、平行棒で3分ほど立てるようになると、体重を移動したり、足を進めたりする練習も加わった。根気よく励まし続けるPTの声からは、たとえ今は動かなくても、あきらめずに動きを教え続ければ、必ず力が付いて来るという信念がひしひしと伝わってくる。私は一足先に帰国したが、7月に入った現在では、歩行器を使って、数歩ずつ休みながらも、40フィート(約12メートル)くらい進むようになったという。信じがたい回復というほかない。
「基金」を通じて希望への道が開かれたことを感謝する一方で、なぜ日本でこのような積極的なリハビリが受けられないのか、いつも満床という現状がなぜそのままにされているのか、不思議でならない。
パソコンの立ち上げからインターネットまで、できる限りお手伝いします。
「ソフトが使えない」などの相談も含め、ご希望の方は基金事務局までご連絡下さい。
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