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〔報 告〕
フォーラム   ES細胞研究の現在
2006年5月20日(土)午後、東京・恵比寿の日仏会館ホールにて、ES細胞研究の到達点と促進する上での課題をテーマとするフォーラムを開催した。
講師: 中辻 憲夫(京都大学再生医科学研究所長)
松原 洋子(立命館大学教授、科学史・科学論)
司会: 町 亞聖(日本テレビ・キャスター)
このフォーラムは日本難病・疾病団体協議会、及び日本ALS協会の協賛を得た。フォーラムの論点を以下に紹介する。



ES細胞研究はどこまできているか

中辻 憲夫 京都大学教授
 ES細胞には大きな可能性があるが、臨床応用には解決すべき問題がある。おそらく10年後にはいくつかの病気を治療できる可能性が出てきている。 
 
 ES細胞とは 不妊治療で体外受精された受精卵は、1週間後には胚盤胞になって内部細胞塊ができる。これを特殊な培養条件で培養すると、この状態の性質を失わずにいくらでも細胞増殖するES細胞株を作れる。幹細胞には、ES細胞以外にも造血幹細胞、間葉系幹細胞などがあるが、その中で一番大きな能力をもっているのが、多能性幹細胞と呼ばれるES細胞です。
 マウスからのES細胞が1981年に初めて発表され、その後、1995年にウイスコンシン大学のトムソンが、アカゲザルの胚盤胞からES細胞株をつくって注目を浴び、98年には不妊治療で作られ破棄されることが決まった胚盤胞からES細胞株を作った。
 ヒトES細胞は2日に1回分裂し1週間で10倍、ひと月で1万倍。これが1年間では10の52乗です。ヒトの身体を作っている細胞は60兆個で、地球上に65億の人がいて、掛け合わせても10の52乗よりずっと少ない。1個の胚盤胞を壊して1株の細胞株を作り、それを1年間増やすと、地球の全人類の身体を作る細胞数を超える。すなわち無尽蔵なわけです。新しい提供者なしに、いくらでも人の細胞を作り出すことが出来ます。いろいろな細胞を作れば、いろいろな治療、新しい薬の安全性のテストにも使えるということです。

 ES細胞による治療可能性 パーキンソン病はドーパミンを作る神経細胞が死んでいく病気です。私も関わった研究では、サルのES細胞からドーパミン産生前駆細胞を作って、パーキンソン病モデルサルの脳に移植したところ3ヵ月後に治療効果がみられた。このようにES細胞自体ではなく分化後の細胞を移植するとテラトーマ(良性腫瘍)は出来なかった。
 脊髄損傷の動物モデルでは、神経軸索を保護するオリゴデンドロサイトや神経前駆細胞を急性期に注入してやると、動かなくなるはずのネズミの後ろ足が動くようになった。脊髄損傷動物モデルに関しては世界各国、日本を含めて何ヶ所でも成功しているので、動物で治療効果があることは確かです。
 米国で最初にヒトES細胞を作る資金を出したバイオベンチャー企業のジェロン社では、急性期の動物モデルで脊髄損傷の治療実験に成功しているので、来年にでもFDA(米国食品医薬品局)の認可を得て臨床試験を始めたいと言っています。私は「慎重にしてくださいよ」と責任者に言いましたが、2000匹単位のネズミで安全性を確認しているということで、これがぜひ成功してほしいと思っています。
 糖尿病に関しては、インスリン産生細胞をES細胞から作ることが、数年以内に世界のどこかで完成しそうな気配です。肝臓に関しては、ES細胞から肝臓細胞を作ったという発表は世界で100編近くあるんですが、機能するような肝細胞を作るのは数年以内に進むと思います。
 ES細胞のもう一つの活用法として私が強調したいのは、例えば病気の仕組みや治療する薬がまだ良く分からないALSに関しても、新しい薬を発見するための道具としても使えるということです。前臨床試験にES細胞を使えば、疾患モデル細胞を作って薬効を試したり、肝細胞や心筋細胞で安全性を確認するなど、目的の性質を持つヒト細胞を大量に使えるわけです。ES細胞株は実験的に加工して、能力を高めたり問題点を改善した細胞を無尽蔵に作ることが出来る。 
 アルツハイマー病やALSモデルの神経細胞を作れるかもしれません。アルツハイマー病やALSでは、5%くらいは家族性で発症しますが、孤発性と共通の現象が起きている可能性が大きい。家族性の突然変異を起こしたタンパク質を、変異遺伝子を組み込んだES細胞で作らせる。そうすると何が起こるかということで、疾患モデルを作れるだろう。ALSの場合は、動物モデルが作られていて、発症原因の解明や治療方法の開発が、まだ初期段階ですが始まっています。

 信じがたい審査期間 日本で現実に我々の研究を遅らせている大きな原因は、研究計画の審査の問題です。大学と文部科学省の倫理委員会の両方の二重審査を経なければ研究を開始できない。ほとんどの先進国では、すでに作られたES細胞株を使って通常の研究を行う場合は、簡単な申請や審査で研究を開始できる。ところが日本では、実際に私が去年調べたところでは研究計画を作ってから12ヶ月経たないと研究が始められなかった事例がありました。
 わが国の倫理審査では、臨床応用でもない実験室内の研究でも非常に厳しい審査を受けなければなりません。今やES細胞研究が世界中で非常に盛んに行われている中で、研究者が半年以上も研究を進められないことは国際競争上ハンディキャップを与えられているわけです。 

 ヒトES細胞株の樹立と分配 我々がヒトES細胞を作る際に提供いただいた二十数個の凍結胚のうち、解凍して生きていたのは4、5個で、3個だけが胚盤胞まで進んで、内部細胞塊を取り出せました。我々は、1―2年以上も正常な染色体の状態を維持したままES細胞を増やすことに成功したのです。3個の胚盤胞から3株作って、いま全国に供給しています。文部科学大臣の確認を受けたところに無条件で配っています。最近30件を超えましたが、この1年くらいで増えています。4~5年後には臨床応用できるような品質保証されたES細胞株を作って全国に分配しようとしています。

 クローン胚は多くの選択肢の1つ 私の今までの話には全くクローン胚というのは出てきていません。ES細胞による治療は、最初は免疫抑制剤を投与することによって始まります。その後で、感染症などの副作用を抑えるためには拒絶反応を弱めるかなくしたい。そのために考えられる5種類の方法の1つがクローン胚作成です。選択肢の中の1つにしかすぎないわけです。 
 患者の体細胞の核を卵子の核と入れ替えると、患者のゲノムをもって、HLA(移植抗原)が全く同じES細胞ができるから拒絶反応が起きないだろう。ただしそのためには卵子が必要で、ヒトの卵子を供給するには非常に大きな問題があります。韓国のグループは、1000―2000個の卵子を使ってもヒトクローン胚の作成に成功しなかったわけで、今の状態では難しいということになります。拒絶反応を弱める可能性があるのは、HLA抗原、つまりMHC(主要組織適合抗原)遺伝子の発現を抑えれば拒絶反応が弱くなるかもしれない。
 臓器移植では6ヶ所のHLA遺伝子のうち4、5ヶ所のマッチングで行なわれています。そのレベルでES細胞バンクを作るとなると、例えば200株くらいでよい。となれば、年間5000個以上廃棄される余剰胚から提供を受ければ可能だし、ハーバード大学やスウエーデンの研究所でも30、40という細胞株を作っているんですね。我々はまだ3株だけですが。 
 拒絶反応を回避する上でクローン胚以外での最終的なゴールは、試験管の中で体細胞を幹細胞に変えることです。おそらく数ヶ月以内に、マウスの体細胞にいくつかの遺伝子を働かせると、ES細胞に似た細胞に変化したという論文が、日本から発表されるでしょう。まだマウスの細胞ですが、最初の突破口はこの論文で開かれたという気がします。20年後には実用化される可能性があります。だからクローン胚作成や卵子提供が難しいということは、あとから考えると苦労する必要がなかった、となるかもしれない。 

 ES細胞研究の促進のために 我々の樹立したES細胞株は、国際的にも優れた細胞株であることが確認されています。今後は株数を増やし臨床用の細胞株も作ってゆきたいと思いますが、世界はもっと速く進んでいます。
 米国ではブッシュ大統領が消極的だが、カリフォルニア州などで積極的に研究が進んでいる。米国の世論調査でも6割がES細胞研究の推進を望んでいる。英米、スウエーデン、イスラエル、シンガポールなど世界各国が研究を推進しようとしています。フランスはカトリックの影響が強く、ドイツはナチスドイツが人体実験をやったこともあり慎重です。でもそれは特殊で、世界全体では研究が加速している。
 アメリカの研究者が、世界のヒトES細胞の研究論文の数をまとめました。2002年は年間10報だったのが2004年は80報です。2005年は100報を超えています。世界的には各国政府が力を入れて爆発的に研究が盛んになっていますので、ES細胞で言われてきたほとんどの問題点は解決されていくと思います。
 最後に、言うか言うまいか迷っていたのですが、日本からの論文は、実は2006年、来月に我々の論文が1つ出るのが初めてです。なぜこんなことが起きているのかをやはり、考えて頂きたいですね。
 マウスやサルのES細胞を使った論文では、世界の論文数の2~3割は日本の研究者が出しているのですが、ヒトES細胞に関してはこういう状況です。世界で研究が進めばいいという考え方もありますが、それでは余りにもさみしい。私達も非常に努力してみんなが使えるように分配しているので、それが有効利用されていないのは悲しいです。



先端医療とその社会的受容

松原 洋子 立命館大学教授
 医学と社会への新たな視点 1970年代以降、医学・医療・生命科学について、非専門家(患者・市民)の立場を重視する人文科学・社会科学的な研究分野が注目を集めるようになりました。生命倫理、医療人類学、医療社会学、科学社会学、科学技術社会論といった分野です。1980年代にこれらの分野が成長し、現在は、医学・医療そのものにも影響しはじめています。
 このような医学・医療・生命科学に対する社会的関心の高まりは、臨床研究(人を対象とした研究)における被験者および患者保護の仕組みを発展させてきました。研究計画が倫理的な配慮を伴っているかを審査する倫理委員会と審査の基準を示すガイドライン。また、本人の同意がなければ研究対象としてはいけない、というインフォームド・コンセントの原則などです。
 ES細胞研究の社会的受容について検討する際には、このような社会の変化をまず押さえておく必要があります。

 被験者保護の流れ 次に被験者保護の歴史をざっと紹介しておきます。第2次大戦後に連合国によってナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判が開かれました。そのうち被告人の大部分が医師という「メディカル・ケース」という裁判で、ナチス政権下での強制収容所の捕虜等への過酷な人体実験が裁かれました。そこから生まれたのが1947年の「ニュールンベルク・コード」です。医学の研究では、最終的には人で試さないと効果や安全性を確かめられませんが、それによって被験者が犠牲になってもいけません。ニュールンベルク・コードでは被験者の自発的同意があり、被験者が実験内容を十分理解していること、被験者へのリスクが利益を上回ってはいけないこと、被験者が不利益を受けずに研究から離脱する権利などを求めています。その後、1964年に世界医師会は、ニュールンベルク・コードを踏まえ、「ヘルシンキ宣言」を出しました(以後7回改定)。これは被験者保護に関する代表的な国際的倫理基準となっています。
 しかし、実はナチスだけでなくて、アメリカなどでも社会的に弱い人たちを犠牲にする人体実験が相次いで起こっていたことがわかりました。1950年代の肝炎研究では、施設に入っている知的障害児に肝炎にかかった子どもの糞便を食べさせて故意に感染させ観察したという事件がありました。1960年代には、ガンではない末期のユダヤ人の患者たちにガンの細胞を注射し、免疫力の低下とガンの進行の関係を調べるということも行われました。1966年には、ハーバード大学の権威ある麻酔医ビーチャーが、22の医学論文を分析して、かなり危険な研究に参加している被験者たちがその危険性を分かっていない実態を示し、非常に波紋を呼びました。さらに、人体実験で今でも問題とされるのが1972年に発覚したタスキギー事件です。これは1932年から72年の間に、アフリカ系アメリカ人の梅毒にかかった男性に、特効薬が出たあともそれを与えない状態で、梅毒の進行を観察したものです。メディアで報道されて大騒ぎとなり、その結果、1974年に倫理委員会やガイドラインによる被験者保護を定めた国家研究法がアメリカで制定されました。さらに1975年から78年まで大統領委員会が組織され、生物・医学・行動研究における被験者保護のための「ベルモント・レポート」という非常に有名な報告書が出されました。

 ES細胞研究と患者 先端医療における倫理的配慮については、以上に述べた被験者保護がまず問題になります。ES細胞研究ではどうでしょうか。ES細胞から分化させた神経細胞の移植が脊髄損傷に有効かどうかを調べるには、動物実験のあとで患者さんで試します。これは、すでに述べた被験者保護に関するものです。次に、胚の研究資源化及び医療資源化です。「資源化」とは研究や医療のための素材とすることだとご理解下さい。ES細胞は受精胚を壊して中から細胞を取り出して作りますが、この場合、受精胚を壊すことが倫理的にどうなのかがひとつポイントになります。ES細胞研究とは別に、脊髄損傷の治療に中絶胎児の組織を利用した研究がありますが、胎児や胚は新たな個体となりうる生命の萌芽であり、その倫理的文化的な意味や法的地位の吟味を棚上げにすることはできません。さらに、胚研究特有の問題があります。ES細胞がもし、卵子とか精子に分化したとき生殖に利用するのか、人と動物とのキメラを作れるのか、クローン胚や研究目的の受精胚の作成は許されるのか、といったことです。その他には、例えばサルに人為的に脊髄損傷をおこさせ動物実験に使うのは、動物実験として倫理的に許容できる範囲を超えているという指摘もあります。

 ヒトとモノの間 これまで、ニュールンベルク・コードから始まる被験者保護の流れが、生物医学研究の倫理の柱になってきました。それは丸ごとの人に対する保護ということになります。しかし現在、丸ごとの人の定義からはずれる胚や胎児といった存在――ただのモノとも扱いきれない微妙な存在が出てきました。また、ヘルシンキ宣言の2000年の改定では新たに「被験者についての医学研究には、個人を特定しうる人由来物質あるいはデータを対象とする研究を含む」とされました。遺伝子とか細胞といった人体部品も、ヘルシンキ宣言で保護すべき対象とされたのです。このように、生物科学・医学・生物科学の進展の新しい事態として、丸ごとの人以外への倫理的配慮を問われるようになっています。

 患者団体は利害関係者か 現代の科学を社会に落とし込んでいく基本的姿勢として、藤垣裕子さんという科学社会論の研究者は、「多様なステークホルダー(利害関係者)で構成される公共空間において、ステークホルダーの共治(ガバナンス)によって科学技術と社会に関する問題を解決し、意志決定・合意形成をする」ことを挙げています。
 医療や薬などヘルスケアに関わるステークホルダーとしては、行政や大学医学部や病院、研究機関、製薬会社などがあります。ここに医療消費者である患者が参加できないことはおかしい、ということになります。患者こそがエンドユーザーなので、例えばヘルスケアのシステムに関わる合意形成に患者団体が参加できるようになるべきです。さらに、広く一般の市民の理解も必要です。
 ただヘルスケアのステークホルダーとしては、患者団体や市民だけが異質です。ヘルスケアのステークホルダーの中では、市民と患者だけが親密圏を基盤としている。親密圏とは<公>に対する<私>の世界です。患者団体がステークホルダーとして意思決定に参加できるとしても、患者団体はどっぷりと親密圏を背負っているわけで、組織の論理で動ける他のステークホルダーとは違います。また、患者団体は患者の支援・救済という目的を共有していても、多様な個人が自由に集う場であり、行動様式が組織の論理で縛られるという性質のものではありません。どの患者団体が患者の声を代表していると認定できるのかを、判断するのは簡単ではありません。変化の兆しはあるものの、ほとんどの場合患者団体はヘルスケア・システムに関する合意形成に、パブリックコメントとかヒアリングという形でしか参加できていないのは、代表性に関する行政の配慮があるのだろうと思います。
 
 胎児の位置 胎児組織が治療の上で有効であるとすれば、胎児の利用を促す大きな理由になります。しかし、日本では堕胎罪によって中絶胎児は原則として
 あってはならないものとされているのです。刑法では中絶した本人も、中絶させた者も懲役刑が科せられます。中絶は基本的には刑法違反だが、例外的にこういう場合であったら罰せられないという条件を定めたのが母体保護法です。だから、中絶胎児を医療に使っていくということを考えたときに、堕胎罪がある中で中絶胎児を使うことがいかなる意味をもつか、検討しなければなりません。ES細胞の作成や利用の倫理的問題は胚の地位に関わりますが、胚の地位は胎児の地位と切り離せないことを考えると、堕胎罪の問題はES細胞の倫理的検討においても無視することはできません。
 中絶は産む・産まないに関わる、親密圏の事柄でもあります。親密圏と公共圏をクロスさせる法制度の中で、胚の地位と胚の利用の問題をどのように収めるべきなのか、という議論は避けて通ることはできません。



ディスカッション

<司会:町 亞聖>
 :中辻先生の話の中で、ES細胞の研究が臨床までいくのにどの位時間がかかるか、という話しがありましたが、パーキンソン病、脊髄損傷に関しては、具体的にはどの位で臨床に可能になるのでしょうか?  
 中辻:ジェロン社はES細胞の臨床試験に向けてFDAに申請しています。急性期の脊髄損傷治療のためにオリゴデンドロサイトを使うものですが、アメリカはリスク覚悟でやりますから、ほかに問題がなければ日本などより臨床試験を認める可能性がある。パーキンソン病に関しては、サルのモデルで治療効果と一応の安全性は認められているが、もっと確認する必要がある段階にきている。動物モデルで成功しているかが臨床試験への大きなハードルであり、脊髄損傷の急性期と、パーキンソン病に関してはクリアしている部分があるといえます。
 :ES細胞株を樹立すると、受精胚を無限に、大量に必要であるということではないということですね。  
 中辻:ES細胞は、最初の受精胚、余剰胚を提供して使わせてもらうことによって細胞株が出来れば無限に増えるので、新たな負担ということはありません。 
 :松原先生はその点はいかがでしょうか? 
 松原:提供者への配慮は京都大学でも十分なさっていると思いますし、私は提供者の決断を大事にすべきだと思います。私個人としては、受精胚の命をES細胞研究に向けていくことは、あっていいことだと思います。ただその場合、受精胚の命をどう考えるか、ということです。丸ごと人と繋げるだけではなく、いま部品化して新たな価値をもったものは何なのか、という生命観を別に作っていく必要があると思います。
 :病気を抱えていても、医療の力も借りて新たに再生することが出来るということを期待させてくれるこの再生医療が、とても進歩していってほしいと思います。日本国内からのES細胞研究の論文は1つということでしたが、海外と比べて国内に厳しいハードルがあるのではないかと思いますが。
 中辻: もしも同じテーマで、英米の研究者が1ヵ月後にその研究を始め、日本の研究者が例えば8ヵ月後にしか始められなければ、それはもうハンディキャップを抱えているわけです。それでは、せっかくすばらしい可能性を持つ研究分野に参入しようという研究者がいなくなってしまう。実際、日本のなかでそういうことが起きていて、この状態がこのまま続いたときにどうなるかを私は大変心配しております。
 :日本では国内でルールを作ってその公共的な枠の中で進めるという方向が強いですね。審査に時間をかけるのも、やはり慎重論があるからでしょうか。
 中辻:細胞株に対する考え方が、特殊なんだと思います。日本では、ヒト胚から壊して作った細胞自身も尊重しなければならない、だから絶対使う必要があるとき以外は使ってはいけない、となってしまう。また非常に厳格な必要条件があって、マウスのES細胞で研究してからでないと使っていけない、というように細胞自体にヒト胚の尊厳と繋げてしまう考え方があるのではないかと思う。
 松原:問題は、なぜ韓国のクローン胚のスキャンダルが、一気に胚研究全般のネガティブイメージにつながってしまうのか、です。移植医療では拒絶反応のコントロールが大事で、将来的にはクローン胚を使ったものにも波及するだろう。そうすると卵子ドナーが必要になる。それを、私は大変警戒します。ドナーが性のうちの半分だけに偏ってしまうというだけでも、問題で、身内の女性に提供するよう圧力がかかる可能性が、特に東アジアの場合大変高いだろうと思います。
 :ES細胞も海外で先に臨床が進んでいて目の前に移植しなければとなると、やはり可能性のある患者さんは海外に行ってしまうと思いますが。
 中辻:善し悪しは別にアメリカが研究がいちばん進んでいて、ES細胞自体の基本特許はアメリカだけで成立していますが、さらにES細胞を利用する技術に関しては日本を含め国際特許を出願しているはずなんです。外国で最終的治療法まですべて開発し終わってしまったときには、開発者にそのライセンス料を支払って行うので日本でのコストは高くなるでしょう。それ以前に、せっかく日本の社会は私たちも含めてこれだけの研究者を支援してくれているわけですね。こういう研究者のコミュニティの力を活かせない。マウスのES細胞を使った研究では世界をリードしながら、実用化に向けたヒトES細胞の利用に関する研究では貢献できないというのは、やはり損失であり、間違ったことです。
 大濱〔基金代表〕:新たな技術が次々に生まれる中で、新たな倫理的な問題も生まれてきていますが。
 松原:「テクノフォビア」つまり「技術を怖がる人たち」という言葉があります。彼らの典型的な言い方は、「自然が持って生まれた人間らしさが失われる」ということですが、この言い方に私は大変抵抗感があります。まずその人たちの「人間らしさ」の定義は何なのか。私は優生学史を勉強してきて「人間扱いしなくていい」と言われてきた人たちがどれほどたくさんいて、どんな目に遭ってきたかを見てきました。
 中辻:再生医療は、通常の生活が難しくいろいろな苦痛もあるというところを何とか治療するということですが、そうした研究を取り上げて、何か「スーパーマンを作るための研究をしていいのか」と止めようとする人がいます。「自然のままでよい人間を変える」ということで止めることは、誰が見ても必要な部分の研究を止めることになっているのではないか。
 大濱:ES細胞を脊髄に入れるということはグリア瘢痕の中に入れるのでしょうか。
 中辻:脊髄に障害を受けた直後で、まだ完全には断絶していない神経線維が退化するプロセスから保護するためにオリゴデンドロサイトを入れるということなので、神経軸索が残っているところに細胞を入れなければならないと思います。
 大濱:動物保護とか動物福祉ということですが、どこで線引きをしていいのか戸惑いも覚えます。
 松原:動物倫理の基準としてリダクション(実験動物数を減らす)など「3つのR」というものがあります。どうも苦痛を感じるものに苦痛を与えてはいけないということがあって、それはおそらく西欧的な考え方だと思います。苦痛を与えたら気の毒なものとそうでないものをどこかで分けているんですが、それが広く見て妥当なのかどうかは疑わしいと思っています。現実問題として、今の製薬や医療のあり方が成り立たないわけです。動物に助けてもらうということが全くないときに、結局は「丈夫な人たちだけが生き残りなさい」ということになるような気がします。語弊があるかもしれませんが、ナチス・ドイツの優生学の考え方はものすごい健康絶対主義です。生まれながら健康で優秀な者が生き残るべきだと。優生学の問題はナチスだけの問題でなく、非常に奥深い問題であって、自分がよかれと思っていることが逆に自分の首を絞めるようなことがたくさんありました。
 :会場の皆さんはいかがでしょうか。
 Q1:成人の組織幹細胞から採取して移植ということは、考えられていないんでしょうか。
 中辻:成人の組織幹細胞を利用した研究は、実は日本ではES細胞の研究よりも活発に行なわれています。ただ組織幹細胞には限界があって、作り出せる細胞の種類が限られているというより、増殖能力が限られているわけです。あの人から取ってきてこの人に使うという個別の治療しかできません。
 Q1-2:幹細胞ライブラリーのようなバンクは? 
 中辻:骨髄バンク、臍帯血バンクのように、ドナーの負担が少なくて採取できる骨髄や臍帯血についてはできています。ES細胞は組織幹細胞では治療できないものに対して、ちょっと時間がかかるがもっと汎用性があり根本的な治療をできる可能性を持っている。コスト面でも将来的には安く抑えられる。もう1つ、数年前に、組織幹細胞がそれまで以上に大きな可能性があり、長期に培養できる場合もあり、いろいろな分化可能性があるという論文が出てニュースに取り上げられました。でもその後、それはあまり再現できず、信用できず、ほんとうに確実なのかわからない、ということに今はなっています。組織幹細胞の能力は限られていますが、それはそれなりに使い道があるわけです。
 Q2:慢性期についての研究はどうでしょうか。
 中辻:急性期の場合は、修復反応が落ち着く前に、伸びようとする軸索を助けるような細胞を与える、あるいは神経前駆細胞で間をつなぐ神経を伸ばそうということで、とりあえず動物実験が行なわれているわけです。その後になると、傷口をふさいだ細胞があるので、そこに移植してもたぶん何も起こらない。その組織を取り除いてグリアや神経細胞を移植することになる。そうなると、いったん落ち着いたものを手術で取り除いても大きなダメッジを与える可能性がないんだ、ということまで証明しなければいけないわけですから、新たな研究が必要なのです。慢性期の治療法の研究はたぶん世界中で次のステップとして行なわれているはずです。
 :今後再生医療を進めるものはなんでしょうか。
 中辻:どうしてこれほどまでに規制が厳しいか分からないところについては、世界の情勢を見て日本でも合理化してほしい。意味のない規制は止めていってほしい。臨床応用に近い場合は、もっと前へ進めようというお医者さんの意見が前面に出ますが、基礎研究の場合は日本の中ではアクセル役になろうという人があまりいません。
 そういうなかで、アクセル役になる人が現れてほしい。その中では、ES細胞の研究で治療法が出来る可能性としては十分あり世界中で動いているわけですから、そういうことを考えている患者さん達が大きな推進役になるわけです。困難な病気を持った人たちが自分たちの権利として、治療方法の研究は進めるべきだと声を挙げてほしいと思っています。
 松原:ES細胞研究がどうしてこう滞るのかというと、縦割り主義、事なかれ主義という官僚制度の問題もおそらくあるでしょう。ただ、不妊治療の現場を知っている患者たちは、不妊治療が再生医療の胚研究と結びつけられることに何か不信感をもっているんですね。私自身は、研究の推進には賭けるべき可能性があると思いますが、患者さんの生活全体を、研究との関わりがどう変えうるのか考えなければならない。
 せきずい基金のホームページを見ますと、脊髄損傷の患者さんたちの様々な生活場面に目配りしていることが分かります。脊髄損傷になった後に出産した女性の体験談などもありますね。そういうことをしながら研究にもコミットしていくということ、その全体の思想というものを患者さんたちに出してほしい。ともすると、研究を進めたい患者さんと研究者が結託して隙間がないような関係になっていると見えてしまうところがありますが、患者さんの生活すべてが研究に向いていることではないはずです。研究の「足を引っ張る人たち」の真意、懸念の所在は何なのか。直接的な表現を真に受けるのではなくて、批判する人々の中には自分の体験から懸念が生まれて訴えているという可能性にも、思い巡らせなければならないと思います。
 :熱心に研究されている研究者、それを必要としている患者さんだけではなく、いろいろな人に根気強く説明していくことを重ねていかなければならないと思いますし、中辻先生や松原先生に求められるものは、非常に多いのではないかと思います。

 ◆ 追記:文科省専門委員会の人クローン胚の研究利用に関する中間取りまとめの公聴会では、基金は現実に研究を推進することのできる指針を策定することを要望している。


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