7月8日午後、東京都港区の東京都障害者福祉会館において、関西医科大学における骨髄間質細胞移植に関する懇談会が開催された。これは、同大倫理委員会が7月1日にこの臨床試験計画を承認したことから急遽、3度目となる懇談会を開催したものである。
〔臨床試験計画〕 神経再生の臨床試験に関する懇談会報告
井出千束・藍野大学教授(京都大学名誉教授)、
鈴木義久・京都大学形成外科助教授、
中谷寿男・関西医科大学救急科教授、
福島雅典・京都大学病院探索医療センター教授、
河野 修・総合せき損センター整形外科副部長、
が出席し、それぞれの観点から報告をされた。
鈴木先生からは事前に、非公開を条件にインフォームド・コンセント文書の貸与を受け、それをもとに質問事項を作成した。
報告のポイントは以下の通り―― (河野先生の報告は次ページ以降に別掲)
井出先生: † 本人の細胞を培養し、損傷部ではなく脳脊髄液に注入するので、その安全性は高い。 † 今回の臨床試験によって脊髄損傷に対する積極的治療が初めて開始されるが、次の段階としてリハビリテーションの問題が大きくなってくる。患者と共に「脊損センター」の設立活動をぜひ進めて行きたい。
鈴木先生: † 今回は第T‐U相の臨床試験ということで、安全性と有効性について評価する試験である。 † 15歳〜60歳の脊髄損傷者(ASIAレベルのA〜C)で、72時間以内に脊椎固定のための腸骨採取が可能な患者で、所定の要件を満たした患者に移植を行う。 † 効果測定は受傷後6ヶ月の時点で評価するが、被験者についてはその後もフォローしていく。 † 2年間で23例を実施するが、この必要例数となるまで試験期間が延長されることもある。 † インフォームド・コンセントは腸骨採取時と細胞注入時に実施する。説明同意文書は患者に渡し、そこに基金のホームページアドレスも記載しておく。 † 患者が同意した場合は、臨床試験後に基金からのコンタクトを認める。 † プロトコルは患者が希望すれば開示する。 † 動物実験では「何らかの液性因子」が効果をもたらしたと考えているが、その本態は解析中である。 † 重傷のラットで効果が現れなかった問題は、損傷ラットの評価尺度であるBBBスケールが重傷ラットの指標でないことによる、という想定も出来る。 † 安全性試験は健康なサルで長期観察したが問題は見られなかった。損傷サルにおける効果確認は動物愛護の観点から実施できなかった。 † 注入した細胞が腫瘍化、石灰化する可能性はこれまでの動物実験の結果から見て殆ど考えられない。
中谷先生: † 脊髄損傷の急性期の治療薬として長年用いられてきたメチルブレドニゾロンの効果については、現在様々な論争が起きている。使用に関してはオプションだが、臨床試験は投与した患者のみを対象とする。 † 脊髄損傷の治療と救命救急センターの社会的使命には相容れないところがあり、脊髄損傷の一貫した治療が出来る施設をぜひ行政が作っていってほしい。
福島先生: † 1例ずつ症例を積み重ねたり、5例くらいにパイロット的に投与する臨床試験はありえない。 † 研究論文作成に必要なエネルギーを1とすると、製品化には1万倍のエネルギーが必要である。 † 基礎から臨床への橋渡しをする研究がトランスレーショナル・リサーチであり、その成功確立を高めるために本当に効いているかどうか(「薬効・薬理の実証」)を評価する方法をFDA(米国食品医薬品局)では「クリニカルパス・リサーチ」と呼んでいる。その重要性が日本ではよく理解されていない。 † トランスレーショナル・リサーチは診断、治療、予後の改善・向上をゴールとする臨床開発であり、それは研究ではなく1つの事業である。 † トランスレーショナル・リサーチの成功確率を高めるには、日常診療レベル:治療成績公開、State of the Art(最高水準)であること、倫理審査レベルが高いこと:共通倫理審査指針→ICH−CCP(日米欧医薬品規制ハーモナイゼーション・臨床試験実施基準)。 † トランスレーショナル・リサーチのコンセプトを実証する上で3つのハードルがある。それは@知財(特許化)、A製剤、B臨床試験である。これが日本では正直に言えばボロボロである。臨床試験にはたくさんの患者がいることが必要で、総合せき損センターで出来ればベストですが、それができない。近畿圏では京大も阪大もできず、関西医大でしかできない。 † 臨床試験の原則〔1〕
臨床試験は医療の1形態であり、難治性疾患に対する最終的選択肢として妥当なものでなければならない。その時点での最高水準が前提となり、単に研究で行うものではない。
試験物の安全性と臨床効果について、確実に一定のデータを得なければならない。そのためには精度の高い統計的デザインが必要である。† 臨床試験の原則〔2〕
1) 再現性・客観性・普遍性が保証される方法で行われなければならない。→科学の基盤が不可欠。 2) 社会的に公式に認められていなければならない。→高い水準の倫理審査が不可欠 3) 被験者の同意があり、安全性が確保されなければならない。→万全の医療体制が不可欠。 † 日常診療レベルの脊損治療の量・数・質が世界の最高水準になければ、新しい治療法の開発は不可能である。もし日本が脊髄再生医療に取り組むということであれば、「脊損治療センター」がなければまったく成功の見込みがない 。総合せき損センターのノウハウを伝えていくことがもっとも重要な課題。
各地に脊損センターの設置を神経再生医療の促進のために せき損センターのヘリポートにて
2005年7月8日の懇談会では、わが国において脊髄再生の臨床研究を進めるバックグラウンドが極めて脆弱なことである。
事故直後の患者が関西医科大学救命救急センターに運ばれた場合、条件を満たした対象患者に骨髄間質細胞移植が行われる。しかしそこが3次救急という常に次の患者のためにベッドを空けておかなければならない施設であるために、移植患者は転院を迫られることになる。
現実には、脊髄損傷のリハビリテーションに経験を積んだ医療機関は極めて限られ、患者が移植後にどのようなリハビリテーションを受けることができるかは定かではない。再生医療の効果を十分に挙げるためには集中的なリハビリテーションを実施することが必要だと言われており、転院先によっては、患者はみすみす回復の可能性を奪われることにもなりかねない。
以下の7月8日の懇談会での総合せき損センター整形外科副部長の河野修医師の報告は、脊髄損傷専門医療センターの必要性を如実に示している(事務局)。
河野 福岡県飯塚市にある「労働者健康福祉機構・総合せき損センター」に入院する脊髄損傷患者は年間80名くらいで、その6割が頚髄損傷です。
患者内訳 (1979年6月〜2003年12月)
総数:1745例 頚髄損傷: 1098例(63%) 胸腰髄損傷: 647例(37%)
患者の半数以上が受傷後2日以内、52%が48時間以内です。センターでのヘリコプター搬送数は、2003年には30例で、今は約半数がヘリ搬送となっています。
患者が搬送された時点で、主治医とリハビリ担当が最初からチームを組んで対処していきます。神経学的所見を取るときでもかならずOT、PTが同席しています。画像を検討して治療方針を決定します。
前方脱臼や椎体骨折などの骨傷例に対しては、入院当日の手術による整復と内固定。頚椎カラーで2日目から起座開始。非骨傷性脊髄損傷に対しては、入院当日から頚椎カラーで起座開始。いずれも入院当日からリハビリを開始します。
後療法としては、手術翌日には座位を開始し、1−2週間で車いす乗車。脱臼をしていますと内固定して、外固定は簡単なカラーで、ということです。
C4高位完全麻痺の方でも、2週間後には下あご(チン)コントロールの電動車いすの練習を開始しています。
受傷後6ヶ月以内のせき損センターにおける死亡率は586例中10例(1.7%)です。全例が頚髄損傷で、これは全世界的に見ても極めて低い死亡率です。
ナースも対応には大変慣れていますので、どんどん体位変換をしていきます。3時間ごとに体位変換による体位ドレナージ(排痰)をする。排痰介助としては胸郭圧迫による呼気介助や気管切開部からの吸引を行います。
頚髄損傷の循環器系合併症としては、急性期には徐脈、急性期以降には立ちくらみなどの起立性低血圧が起こります。我々は早くから起立訓練をやっておりまして、起立台がOT室に2台設置され、1台で4人が利用できるので孤立感も解消できます。受傷後1週間くらいで、スタッフがみんなで支えて起立台に立つ起立訓練をはじめます。
消化器系合併症としては、消化管潰瘍、出血、麻痺性イレウス、胃腸反射があります。褥瘡はいったん発生すると臥床時間が延長され、体力低下、新たな合併症、リハプログラムの延長、入院期間の延長、社会復帰の遷延につながります。
米国の脊髄損傷データベースのNational Spinal Cord Injury System (NSCIS)のデータでは、3,006例の33%に褥瘡が発生しています。しかし総合せき損センターでは過去10年間、Shea分類*U度〔全層皮膚損傷〕以上の褥瘡は0例。3時間ごとの体位交換と節目の皮膚点検で褥瘡を予防することが出来る。褥瘡ができるとリハビリがストップしてしまいます。
*注:褥瘡の深さの分類。グレードT〜W(最重度)
車いすの平均駆動は2−3週間で開始しています。最終段階が床から車いすへの垂直方向の移乗という最難関の訓練となります。OT室には訓練用の乗用車が常設されていまして、移乗や運転操作の練習を行っています。
Aの方で6ヵ月後に歩けるようになった方(D)が5名。Cでは半年たつと104名の方が歩けるようになった。このように麻痺は刻々と変わります。もちろん重度のAの方では、まったく回復しない例が多いのですが、CやDにもこれだけ推移している。不全麻痺はかなり改善する。
頚髄損傷344例の麻痺推移(総合せき損センター 1999)
受傷後2週間以内に入院し6ヶ月以上経過観察できた例A:完全麻痺 B:不全麻痺で知覚は少し残っている
C:運動不全 D:歩行可能 E:回復
頚髄損傷344例の麻痺推移(6ヵ月後)
Aでも4%くらいはある程度歩けるようになる。足の感覚が全くなく触った感覚がある程度わかるというBでは42%がDまで回復しており、何らかの装具を用いれば歩ける。
A → A 60 %
A → D 4 %
B → D 42 %
C → D 83 %
A,B,C → D 43 %
D → D,E 100 %
■ 自宅への退院率
(総合せき損センター 2000年急患94例)
頚 損:69例のうち、自宅81%、転院・施設19%
胸腰損:25例のうち、自宅76%、転院・施設24%
■ 入院日数(総合せき損センター、2000年急患94例)
頚 損 A,B,C(29例): 333日 頚 損 D,E(40例): 165日 胸腰損 A,B,C(8例): 156日 胸腰損 D,E(17例): 85日
せき損センターには常時70−80名の脊損者が入院しています。同じようなレベルの人が時期を違えて、入院間もない人から退院の近い人まで一緒にリハビリをしていますので、頑張ればあそこまでなれるんだという、自分の将来を見ることができます。
〔結語〕 1年後を見据えた急性期治療が必要である。
◎ 総合せき損センターの特徴
* 急性期治療〜リハビリ〜慢性期治療〜社会復帰まで転院することなく、同一施設でチームを組んで、一貫した方針で、責任を持って治療を行うことが出来る。 * 急性期の生死に関わるような状況から社会復帰の喜びまでを、患者や家族と医療従事者が共有できる。 * 麻痺の経時的な変化を知り、急性期から慢性期にかけての全身状態の変化を見られるために、脊髄損傷の麻痺を正しく理解できる。 * 同程度の麻痺を持った先輩患者が身近にいるため目標が出来て、自らのゴールを見ることが出来る。
◎ 今後の脊損医療に関する要望
* 全国に脊髄専門治療施設を展開し、病態に精通した医師や医療従事者を養成することで、脊髄損傷者に対するよりよい治療が普及すること。 * 脊損を熟知した医師と基礎研究者が協力して、脊損者に有意義な脊髄再生の研究を進めていくこと。