■ 再生研究紹介1
可能性が出てきた脊髄再生
−車いすからの解放も夢でないかもしれない−
川口 三 郎(京都大学大学院教授 認知行動脳科学)
* 一昔前は、脳や脊髄などの中枢神経は、いったん損傷したら再生しないと思われていた。ところが、ここ5、6年で、パラダイムシフトといってもいいほどの大きな変化が起きた。
動物実験の段階だが、中枢神経の再生を確認する報告がいくつも出され、中枢神経の再生をテーマとした国際シンポジウムも開かれるなど、人間の中枢神経でも再生、もしくは神経細胞やその前駆細胞を新に移植して機能回復できる可能性が明らかにされてきたのである。
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再生か移植か、2つの可能性
交通事故やスポーツなどの事故で脊髄の上行性・下行性神経路が切断されたり、切断されなくても髄鞘が壊れると(脱髄)、通信ケーブルとしての機能を果たさなくなり、その部位より下位に運動司令を送ることができず,下位の感覚情報をその部位より上位に伝えることができない。
損傷部位のレベルによって、両下肢の麻痺(対麻痺)、あるいは両上・下肢の麻痺(四肢麻痺)、さらには四肢麻痺に加えて呼吸麻痺が起こる。排尿や発汗、血圧の調節など自律神経機能の障害も起こる。切断によって細胞体から切り離された軸索は変性し消滅する(順行性変性)。細胞体につながっている軸索にも末端から細胞体に向かって変性が進み(逆行性変性)、場合によっては細胞体も消滅する。逆行性変性は若いほど起こりやすく、大人になると起こり難くなる。
脊髄損傷で神経路が切断されると、断端あるいはその近傍から発芽がおこり、それが伸び出してくる。伸び出した突起は切断部の条件がよければ、切断部を越えて伸び、再び神経結合を作るが(再生)、多くの場合、切断部の手前で止まってしまう。現在、世界各国で、切断部の手前で止まってしまったものを、人為操作を加えることにより再生に導く研究が行なわれている。
再生が成功するとしたら、脊髄損傷後、何年たっても可能かという疑問がわくであろう。大人では細胞体が消滅するような逆行性変性は起こり難いので、何年かたっても細胞体の残っている可能性は大きい。細胞体が残っていれば、再び軸索を伸ばすことができるので、脊髄損傷後、長年月たっていても再生の希望は残されていると考えていいだろう。
脳や脊髄は外傷だけでなく、血管障害や変性疾患によっても障害される。このような場合には細胞体も障害されており、再生は難しい。しかし、神経細胞そのもの、あるいは神経細胞の前駆細胞であるES細胞(胚性幹細胞)や神経幹細胞を移植することにより、失われた神経細胞を補填することができるので、そうすることによって新たな神経結合を作る可能性は残されている。
「点対点投射」と「大域的投射」
このように外傷や血管障害や変性疾患によって損なわれた神経回路を修復して機能回復を図るためには、切断された神経回路の再生を導くか、それとも細胞移植によって新たな神経回路を構築するかという、2つの方法が考えられるであろう。
その2つの方法の長所短所を論ずる前に、神経投射と軸索環境について話しておく方がよいであろう。
神経細胞は軸索 神経終末によって他の神経細胞に神経結合をつくる。このことを投射という。たとえば、大脳皮質運動野の神経細胞は錐体路を形成して脊髄の運動中枢に投射する。この投射は、「点対点投射」と「大域的投射」に区別される。「点対点投射」というのは、個々の神経細胞が精密な体部位局在をもって
point to point に投射するもので、運動神経路や感覚神経路はこれに相当する。
精密な「点対点投射」で情報が伝わるおかげで、私たちは色や形のわずかな違いがわかるし、手足を思うように動かすことができる。ピアニストがあれだけ速く10本の指を独立に動かすことができるのは、精密な点対点の投射があるからである。
一方、「大域的投射」というのは、比較的少数の神経細胞が体部位局在なしに、脳や脊髄の広範な領域に投射するもので、情報処理に直接かかわるものではなく神経細胞の活動レベルを調節したり、神経終末の可塑性を維持するのが役割と考えられている。パーキンソン病や痴呆はこの投射が壊されることによって起こるとされている。神経修復といっても目的が「点対点投射」か「大域的投射」かでは、当然、方法が違ってくるであろう。
「拒絶的軸索環境」と「許容的軸索環境」
「軸索環境」というのは、軸索の周囲の細胞や細胞外基質を含めた環境のことである。軸索の伸長を拒絶する環境を「拒絶的軸索環境」、許容する環境を「許容的軸索環境」という。
中枢神経線維の髄鞘や、髄鞘を作るグリア細胞には軸索の伸張を抑制する因子が存在することが知られている。Nogaと呼ばれるタンパク質である。
Nogaの抗体を作用させることにより、軸索伸長抑制因子を不活性化させれば、錐体路の再生が促進されること、Nogaを持たない末梢神経や、末梢神経の髄鞘を作るグリア細胞、あるいは嗅脳鞘細胞を脊髄に移植すれば、中枢神経の軸索がそれらを導通路として伸長することが報告された。
こうした研究に基づいて、「哺乳動物の中枢神経系の軸索環境は全体として再生軸索の伸長に対して拒絶的であり(拒絶的軸索環境)、再生に導くためにはそれを許容的に変えなければならない」との仮説が広く浸透している。しかし、軸索環境を許容的に変える試みによって修復できる神経投射は量的にわずかで、軸索の延長距離も短く、その多くは、正しい標的に結合できない異所性投射と考えられるものであり機能回復が起こるといってもその程度は微々たるものである。
正しい再生を導く手がかりが存在する
今、世界で神経修復の研究を行っている人たちの多くは「拒絶的軸索環境仮説」を信奉している。しかし、私たちの実験結果は、この仮説を支持しない。私たちの実験結果は、哺乳動物の軸索環境は再生軸索の伸長に対して拒絶的ではなく、中枢神経伝導路の再生を妨げるのは切断部の局所的条件であること、局所的条件を改善すれば、正常と同様な神経路の再構築が可能であり、その神経路によって著明な機能回復が起こることを示している。
これらの実験結果の一部は後で紹介するが、再生した神経線維が正しい経路を伸びていく限り、その伸長を妨げる所見は見られない。妨げる所見が見つかるのは、再生した神経線維が異所性に伸びていくときである。中枢神経軸索は従来考えられていたのとは異なり、大きな再生能力を持つだけでなく、再生した軸索は正しい経路を見出して、正しい標的に神経結合をつくる能力を持っている。
個体発生の過程では軸索を正しい経路に導き、正しい標的に終止させるような手がかりが存在する。手がかりには、「来なさい」といって軸索を誘引するものと、「来てはいけない」といって排斥するものとがある。ネトリンやセマフォリンといったタンパク質が手がかり物質として同定されているが、セマフォリンだけでも、30種類くらいあり、わずかな違いがあっても1つのファミリーを構成している。ネトリンはある種類の軸索には誘引活性を示し、別の種類の軸索には反発活性を示す。
このような手がかり分子が
神経回路網ができる時の交通整理をしている。
神経回路が完成した後もそのような手がかりは消滅することなく残存し、再生線維が正しい経路に伸び出せば、その手がかりを使って再び正しい神経結合を作る。
いったん神経回路網が完成した後で、神経軸索から新たな枝が無秩序に出てきてしまっては神経系の情報伝達が大混乱に陥ってしまう。だからそうしたことが起こらないように、軸索の伸長を抑制する機構があるのであろう。Nogaもそのような役割を担っているのではないかと思う。そうであれば、Nogaの働きを抑えて再生を促す試みによって再生する軸索は、必然的に正しい標的に結合できない異所性投射にならざるを得ない。
異所性投射によって、少しでも下肢が動けば補助器具を使うことによって、それを有効な運動に変換できる可能性があるから、そのような機能回復を過小評価してはいけないかもしれない。実際、頚髄損傷で首から下が麻痺し、手もまったく動かない人は、大変な介護が必要であるが、指1本でも動けば、自分で電動車椅子を操作することができる。
しかし、機能回復の要求水準を自分の手足を随意に動かし、自力で歩けるところまで上げれば、正常と同様な体部位局在を再現した神経路の再構築が必要になる。既に触れたようにそのような神経路の再構築は局所条件を改善すれば可能であると考えている。
局所条件の改善で再生の可能性
実際、動物実験で小脳の出力線維や脊髄の神経路を鋭利に切断すれば、正常な投射と区別できないような神経路が再構築できる。成熟動物では鋭利に切断することが難しく、そのままでは再生は失敗に終わるが、局所の条件をよくするために切断部に胎児の組織、胎仔神経組織を移植すれば、再生に導くことができる。
新生ラットの脊髄の髄節を一部切除し、その空所に胎仔ラットの脊髄髄節を移植(すなわち髄節置換)すれば、置換した髄節を越えて正常と同様な上行性・下行性神経路が形成され、その動物は正常ラットと同様に四肢を協調させて歩き、走り、金網を登ることができる。この場合には移植した髄節に含まれる手がかりを利用しているわけである。
このような結果を見れば、人間の場合でも、胎児の髄節を損傷部につなげば、中枢神経が再生する可能性はある。ただし、ラットの場合は、小さいので血管をつながなくても、血管新生が起こるまでの間、移植髄節は組織液にある酸素、栄養を取って生きているが、人間の場合には、組織が大きいので血管縫合が必要になり、実際の手術としては非常に難しくなる。しかし、不可能ではないだろう。
手術後、どれくらいで回復できるかは神経線維がどれくらいの速さで伸びるかにかかっている。いろいろな実験で、1日に1ミリメートルは伸びるといわれている。個体発生過程を調べた研究によると、神経は一様に伸びるのではなく、ある場所(時期)では止まり、ある場所(時期)では速やかに伸びる。一番速やかなときには、1日に7ミリメートル伸びている。私たちの実験でも、条件が良ければ、1日に5ミリメートルを超えていると思う。人間でも、2ヶ月もあれば、脊髄の上から下まで伸びることができるのではないだろうか。
細胞移植の有効性と限界
神経修復を神経幹細胞やES細胞(胚性幹細胞)の移植により進めようとする試みが盛んに行われるようになってきた。それらの細胞を脳や脊髄に移植すると、神経細胞に分化して軸索を伸ばして神経結合を作る。
大域的投射の障害されたパーキンソン病のようなものであれば、神経結合に体部位局在を必要としないので、相当に有効である可能性はある。他人の臓器を移植する場合には、免疫拒否反応の制御が重大な問題となるが、中枢神経系は「免疫租界」といわれるように、免疫拒否反応が極めて弱いので制御しやすい。
実験的には、人間の胎児の脳からそのような細胞を取り出して、パーキンソン病の患者さんに移植されているが、多数の胎児が必要であり、入手が困難である。そこで、胎児から取りだした細胞を培養して増やし、それを利用しようという研究も進められている。
もう1つは、自家移植という方法も考えられている。最近では、胎児だけでなく、成熟した動物の脳の中にも神経幹細胞があることがわかっているので、それを取りだして移植する可能性も残されている。この場合には、自分の細胞だから拒否反応は心配しなくていい。胎児の脳を使うことは、倫理面にも問題を生ずるが、自分の細胞であれば、その心配もいらないであろう。
神経幹細胞やES細胞の移植は運動神経路や感覚神経路のような精密な点対点投射の修復には、それほど有効でないと思う。移植された細胞によって、精密な体部位局在をもった神経結合ができるとは考え難いからである。
視覚を考えてみると、網膜の部位局在を持たない投射ができたとすれば、明暗はわかるが、形も色も動きもわからないであろう。暗黒の世界に比すれば明暗がわかるのは大きな福音であるので、それでよしとするのであれば、神経幹細胞やES細胞の移植は使えるということになるであろう。
先に述べた軸索抑制因子の不活性化や末梢神経移植、あるいは幹細胞移植の研究を行っている人たちには、体部位局在を再現させるということが念頭にないように見える。しかし、早晩、これは神経修復の研究の中心課題になるであろう。
軸索は潜在的に大きな再生能力を持っているだけでなく、正しい経路を見つけて正しい標的に神経結合をつくる能力を持っている。損傷部の条件が悪いために立ち往生しているだけだから、立ち往生している局所的な原因を取り除いて、潜在能力を顕在化させれば、正常と同様な神経回路の再構築が可能であり、高度な機能回復を期待できると、私たちは考えているのである。
5年位で臨床応用へ一定の見通し?
再生を成功に導き、あるいは失敗に終わらせる局所的な条件が何であるかは、まだよくわかっていない。再生を妨げる分子として、あげられているものもたくさんあり、さらに増えるだろう。そうしたものを逐一検索していく地道な努力は欠かせない。
「拒絶的軸索環境仮説」の当否については、5年くらいの間に決着がつくのではないか。その間に、いろいろな試みがなされ、臨床応用も進行していくであろう。機能回復といっても、器具を使うことにより、ともかく車椅子から立ち上がるという段階、補助器具によって歩くという段階、車椅子から解放されて自分の足で歩けるようになるという段階と、さまざまな段階が考えられるであろう。
何年たてば、どういう段階になるかという予測はできないが、アメリカやオーストラリアではすでに人での試みが始められようとしている。心臓や肝臓などの移植についても、その試みが始まった頃の成績と現今のそれを比較すれば、隔世の感があるであろう。脳損傷や脊髄損傷についても、10年後、20年後、30年後という時点で振り返ってみれば同じようなことをいいうるのではないか。
一瞬の事故で、対麻痺、あるいは四肢麻痺、さらには呼吸麻痺に陥った脊髄損傷患者の切実な願い 再び、自然に呼吸し、手を動かし、歩けるようになりたい を可能にすることは「センチュリードリーム」といわれてきた。それは神経修復の研究をしている私たちの夢でもあるが、不可能な夢とは考えていない。5年もすれば、ある程度、見通しがつくのではないか。
(本稿は、東芝の「ゑれきてる」第79号、2001年
Springに掲載された全文である。転載を許可頂いた東芝・広報部に御礼申し上げます。)