| ★書名 「酒井定子歌集 はなしづく」 (酒井定子著、私家版、2001年、1000円) ★書評(中島) 酒井氏は11歳から脊髄性小児麻痺、以後車いす生活を送る。歌人、障害者運動家。 35年ー01年、佐賀県鳥栖市生まれ。73年に遅まきながら38歳で、700人もの会員 を擁する西九州一円の短歌結社「姫由理」(碇登志雄主宰、鳥栖市)に入会する。 以後死の歳まで作歌をつづける。 82年に鳥栖市で開かれた「わたぼうしコンサート」では、「障害者が受け身でなく、 主体としてかかわろう」と、実行委員長をつとめ大成功に導く。市内でボランティアの会 「ありの会」副会長をつとめる。 94年に「佐賀新聞社会大賞」を受ける。県内の障害者たちの情報通信誌 「やってみよう、トライ」(植木チス子編集、多久市)に母との思い出を連載している。 死後の02年に短歌関係者や福祉関係者らのすすめで、姪の田中智恵子・春行夫妻 が遺稿1800首の中から約450首を選び、この遺歌集「はなしづく」を出版している。 問い合わせ先は、電話0942・44・7714。帯に「ある障害者の軌跡」と銘打たれ、 「麻痺、われはされど車椅子に乗り得たり」の語が記されている。 短歌は障害のつらさ悲しさを平明につづったものがほとんどである。介護の母親に 対する素直な感謝にもあふれている。また夢や希望を無邪鬼に述べてある。かつて 「青い芝の会」の横塚晃一が「障害者の作品に最もありがち」「そしてそういう姿勢が 健常者には最も受けるのである」と喝破したとおりである。共感する人も多いだろうが、 あまりにも類型的だと物足りなさを感じる障害者もいるだろう。 実際の酒井氏は障害者運動の面でなかなか活発に働いた人であるから、どうしてそ れが短歌に反映されてこないのだろう。社会と接する局面局面で憤慨することもあった はずである。しかしそういうものは短歌にはなりにくい、という構造上の限界がある。 もっと訴えや怒りやあるいはユーモアも取り込んでゆけたら、奥行きのある歌集になる のに惜しいなあ、と感じる障害者が、決して冷たいとか理屈っぽいとは言えない。 ★引用 「今も見る夢は歩きゐし頃のことくりごとめきし夢の侘しき」 「麻痺の手にて便せん1枚便り書く これが1日のわがなせるわざ」 「自問自答繰り返しつつ疲れたり われ未来図描きあぐねて」 「夜は母と2人くつろぎ入浴す あふるる湯水にうれい流して」 「君により立ちいたる吾の嬉しくて 夢と知りてもときめき消えず」 「麻痺吾が立ちいたりける今朝の夢 醒めても恋し傍にいし人」 |