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| ★ (書評・中島虎彦) 「お許しを 老いゆく母を こき使い 生き長らえる 根性なしを」 同じような慙愧の念にとらわれている障害者は多いことだろう。もちろん今はヘルパーさんも通ってきてくれるし、ボランティアも訪ねてきてくれる。集中制御装置もある。しかし24時間の介護が必要な者には、たとえば深夜など老母や妻や子の手に頼らねばならない場合が厳然としてある。そんなときの情けなさを語って余りある短歌である。 作者は1957年、山口県生まれの古跡博美氏、近畿大呉工学部卒、経営コンサルタントを夢見るが、結婚した妻の実家の豆腐店の専務取締役となる。しかし90年に上咽頭腫瘍から原因不明の発病をして、頚髄損傷の全身麻痺となる。やがて人工呼吸器をつけるようになり。在療養の生活に入る。広島頚損ネットワークなどの障害者団体と交流を広げ、闘病の日々を短歌やエッセーにつづる。 同じ頚髄損傷でも、ベンチレータを付けている者とそうでない者とは、これほど日ごろの意識に違いがあるものかと教えられる。私(頚髄損傷5,6番)など氏から見ると健常者のように見えるかもしれない。 特に介護者が数分でも身の回りから離れることの恐怖感は、私たちの想像を絶している。家庭で、店で、往来で、車の中で、介護者が何の気なしに洗濯物を干しに行ったり、トイレに行ったり、外で誰かと世間話を交わしているその数分の間に、呼吸器が外れたり痰が詰まったりすると即死へとつながるだけに、彼らの異様なほどの注文はことこまかい。知らない者はちょっと意識過剰じゃないかと不審に思うかもしれないが、これが現実なのである。家族の負担を少しでも軽くするための、さまざまの制度や補助金やネットワークの必要性を氏も説いている。 以前に取締役などしておられただけに、全身麻痺となり『こんな身体で生きている値打ちがあるのか』『家族の邪魔者ではないか』『それでも世間とつながりを保ち、世のため人のためになるにはどうしたらいいか』『自分には何ができるのか』と息苦しいまで自らに問いかけている。さぞや責任感の強い人なのだろう。たまには肩の力をぬいて全く別の世界に遊んでみるのもいいだろう。 私個人としては、せっかく短歌をやっておられるのだから、あくまでもそれを貫かれたらどうだろうとしか言えない。本に掲載してある短歌はあまりにも障害にとらわれ、責任感の強さから自由になれず、習作の域を出ないものが多い。それを打開するにはもう少しほかの人の作品を読むことが大切だろう。たとえ短歌といえどこの世界は広い。「人生は短く、芸術は長い」と言われる通りだ。そのため他人の批評に素直に耳を傾ける姿勢が大切だが、障害者には意外とこれが難しい。厳しい批評をしてくれる人も少ない。私なども七転八倒している。 短歌をやって何の役に立つのか? と言ってはいけない。それは永遠の禁句なのである。答えは誰にもわからないけれど、そこに「何か」があるから短歌(和歌)は千年以上も命脈を保ってきているのである。 最後に作品をいくらかご紹介しておこう。 「寝たきりの 生き様この世 さらけ出し 明日に架ける 橋を示さん」 「わがからだ 生かすも殺すも 我が心 神のみぞ知る 酷き使命よ」 「看護師さん あなたの顔は 気象庁 昨夜の天気 晴れのち曇り」 「広島の 歴史生き様 みならいて 障害生きる 明日への架け橋」 「これの世に おらんにこした ことはない 障害背負い 行きつくところ」 「寝たきりの みみをすまして 安堵する 人声物音一 人じゃないと」 |