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| ★(書評、中島虎彦) 「不幸中の幸い」という言葉があるが、まさしくそんな感じの闘病記である。民放の売れっこアナウンサーとしてパラグライダーの体験レポートをしているとき、着陸間近の突風にあおられて地面に激突し、腰椎(第3)の粉砕骨折による圧迫で脊髄損傷となるが、一年足らずの入院リハビリで片松葉杖で歩けるくらいに回復したのだから。本人の努力もさることながら、本当に運の強い人と言えるかもしれない。 木村氏(熊本では通称キムカズ)は1969年、東京都国立市生まれ。1991年にTBSに不採用になったあと縁あってRKK熊本放送に入社する。以後その人なつこさで人気者となり「夕方いちばん」などの司会をつとめていた。そんなところは「車いすのヒーロー」の作者で昨年亡くなった元スーパーマンの俳優クリストファー・リーブと重なってくる。それだけに木村氏の消息は人一倍話題になった。 そんな2001年3月、順風満帆な日々に「好事魔多し」のたとえ通り、青天の霹靂のような事故にあう。私もときおり番組を拝見していたので、あのキムカズが脊損に!? とことのほか他人事とは思えなかった。しばらくはそれとなく気にしていたが、アメリカの9.11同時多発テロや小泉内閣の大人気による誕生などがあり、しだいに記憶も薄れがちになっていった。しかしその間彼は綿密な闘病日記をつけながら、毎日のリハビリに励んでいたのである。その日記と写真を元にして一冊にまとめられたのがこの本である。 当初はおおかたの脊髄損傷者の闘病記に変わらぬ経過をたどるが、脊髄の神経が完全には切断されていなかったので、入院二日目から太腿や足先の感覚がもどりはじめ、完全に切断された脊髄損傷者からみると羨ましいような速度で回復してゆく。とはいえ触られただけで飛び上がるような足の痛みや痙攣に長く苦しめられたり、数ヶ月は排泄も不如意となり導尿されたり摘便されたり紙おむつをつけたり粗相したりと、スポットライトを浴びてきた人気アナウンサーとしては耐えがたい経験も味わわねばならなかった。さぞかしプライドもずたずたに傷ついたことだろう。人知れず何度か口惜し涙も流している。 しかしその間、「彼女」が影となり日向となり看病してくれ、落ち込んだ木村氏を励ましつづけてくれたため、何とか乗り越えることができる。脊髄損傷者の中には恋人に去られたり自ら別れを告げたりする例も少なくないから、よくできた女性である。木村氏の場合は本当に幸いであったと言うべきであろう。名前は伏せられているが、あの可愛い女子アナではないだろうか・・・・などと勝手な好奇心をふくらませてしまう。 その他、放送局の同僚やタレントやファンや東京の両親や、医師や看護師やPTなどの 温かくも厳しい励ましに支えられて、トイレの訓練、マットでの座位や平行棒での装具をつけての起立・歩行訓練や、車いすや松葉杖や杖での歩行訓練や、外出・外泊訓練など一進一退の日々をへて、一年もたたぬうち退院を告げられる。それを待ったように新番組の司会に抜擢されて復帰する。現場ではスタッフたちの協力に助けられて、駅伝中継の実況放送の時などは抱えられてロケバスに乗り込んだりしている。 本当にこんなふうに一年ぐらいの入院ですむなら、いい骨休めにもなることだろう。のみならず他の患者たちの艱難辛苦から得る人生の訓戒も大きいだろう。そしてともすれば一方通行になりがちなメディア側の人間が、そういう弱い立場の者たちへの共感をもってくれれば、今後の放送にも大きく役立てられるだろう。 最後に本の中で一番心に残ったのは、転院した熊本機能病院の病室の窓から見えるのどかな田園風景のなか、田植えから稲刈りまで農作業の一部始終を(都会育ちの作者は生まれて初めて)目の当たりにして、自然の営みによって心の安らぎを得るところだ。 そして同時に、ああ、あの米が収穫されるのと自分が復帰するのとどちらが早いだろう、とひそかに競争するような眼差しを向けるところだ。そうして退院し復帰したあと、親友のタレントが退院祝いとしてどさりと重い米を届けてくれる。それはあの窓から見えていた田んぼの米を、彼がお百姓さんにかけあって分けてもらったものであった。木村氏はこの闘病によって人間関係を一段と深めたようである。 |