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★ 書名 「哀れみはいらない」 (原題 「NO PITY」、1993年 ) (ジョセフ・P・シャピロ著、秋山愛子訳、現代書館、1999年、3300円 ) ★書評 (中島) (筆者紹介) シャピロ氏は「U.S.News & Report」紙の記者。医療、障害、高齢化、公民 権などが専門。各種の賞に輝いている。これは「アリシア・パターソン財団」の奨学 金をえて書かれた大冊。妻とニ女子とともにワシントン・D・Cに暮らしている。 翻訳者の秋山氏はカリフォルニア大学バークレー校卒で、衆院議員石毛暎子氏の 秘書もつとめる通訳。 (内容紹介) 表紙には、有名な1990年7月26日のホワイトハウス中庭での、「ADA法」調印 式の写真が掲げられている。ブッシュ大統領を囲む障害者団体の代表たちの顔は実に 晴れやかだ。そのうちの一人の両腕のない牧師は、大統領に足指ではさんだペンを手 渡したとも伝えられる。 この晴れやかさに到達するまでの、アメリカの障害者たちをめぐる状況と苦闘の 歴史をたどったのものがこの本である。 まず、全米の障害者数(3500万から4300万人)の解釈の仕方や、障害の定義の仕方 を紹介している。たとえば1980年のWHOの発行物では、(desease 病気、impairments 機能障害、disabilities 能力障害、handicaps 社会的不利)とされていたものが、 1998年の改正ではそれまでの「disabilities」が「activity limitation(活動制約)」に、 「handicaps」が「participation(参加制約 )」と変わっている。 それほど時代の要請によって変わってしまうものであり、この先もどう変わってゆくか わからないということである。 そして、障害者たちへの自他ともの偏見の例をさまざまな事例をあげて検証して いる。たとえば、フランクリン・ルーズベルト大統領や、大リーグのアボット投手 や、ポスター・チャイルドのジェリー・キッズや、テレソンや、グラハム・ベルやフラ ナリー・オコナーやホーキング博士など、文学作品では(怒りのぶどう、白鯨、クリス マスキャロル)など、映画では(美しき哉人生、エルム街の悪夢、バットマン、レインマン) など、その他社会的にはナーシングホームや優性思想や統合教育や安楽死など の変遷があげられている。 それから障害者たち自身による運動を、バークレーのCILを創設したエド・ロバーツ やその母、彼らのサンフランシスコでの座りこみ、ニューヨークのDIAを創設した ジュディー・ヒューマンや、ニューヨークのギャローデッド大学(ろう者の大学)の ろう者自身による学長選出をめぐる抗議行動や、「メイン・ストリーム」誌の創刊や、 知的障害者たちの「セルフ・アドボカシー」や、障害別団体のみならずゲイなどとの 広範な連携、車いすなど福祉機器や建物のユニバーサル・デザインの例をあげて たどっている。 次に障害者差別をなくすための法制化の動きを、1964年の公民権法をはじめとし て、1973年のリハビリテーション法、1990年のADA法などをたどって述べている。 障害者運動の場合、公民権運動にみられたマーチン・ルーサー・キング牧師のよう な強烈なリーダーがいなかったにもかかわらず、ADAのような成果をあげられたの は、障害者のみならずその周辺の関係者に「隠れ軍隊」がいたからだという。そうい う表には現れない理解者たちによって支えられてきたという。 とはいえ、ADA法が決してゴールではなく、それによる波紋や企業の景況まで 追跡調査している。またバークレーやニューヨーク以外ではどれほどADAの理念が 浸透しているのかも探っている。そして何よりも感嘆するのは脊髄損傷、頚髄損傷、 ポリオ、脳性麻痺、ALSなどの難病、視覚、聴覚、ろうあ、知的障害、自閉症、リ ウマチ、てんかん、精神病など、多様な障害別ごとにていねいに取材していることで ある。そして障害別に排他的になるのではなく、広範に連携してゆくことの大切さを 解いている。 第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・デラノ・ルーズベルト(1882-1945年) が、ポリオの後遺症による左半身マヒで車いす生活だったことは今ではよく知られた 話だが、彼は当時それを極力さとられまいとしていたという。(あるいはもうよくなったと 見せかけようとしていたらしい)。どうしても人前に出なければならないときは息子と 護衛官に両脇を支えられて立っていたという。今のようにテレビのない時代であった ればこそ可能なことであろう。 それほど当時のアメリカ人にとって、障害は哀れでみっともないもの、克服しな ければならないものであったということである。自由の国アメリカでさえそうだった のだから、他の国は推して知るべしであろう。 それが昨今では、自分が癌であることやエイズであることや同性愛であることを テレビで告白する政治家や俳優が増えてきている。日本でも真似をするキャスターな どが現れた。変われば変わる世の中である。ということは今の常識もこの先どう変わ るか知れたものではないということである。 この本を読むと、日本の障害者たちがいかにアメリカの障害者運動の影響を色濃 く受けているかがわかる。それだけ彼らの運動の動機となるものが万人に普遍的な力 を含んでいたということだろう。それは文明の輝かしい到達点である。アメリカ礼賛 者なら大いに肩をそびやかすところだろうが、それにしては彼らの風貌にいまひとつ 陰影が薄いような気がするのはどうしてだろう。というのも、その同じアメリカ人が 国際政治の舞台では、まるで大きな赤ん坊のような暴挙をくりかえしているのだから。 たとえばこれを石原慎太郎氏や福田和也氏や小林よしのり氏のような名だたる反 米主義者や隠れ優性思想保持者が読んだら、にがにがしく思うのかもしれない。そう いう見方も成り立つということを心の隅に止めておくのも、免疫性を高めるため無駄 ではなかろう。しかしいくらにがにがしく思っても、これはもはや時代の潮流という ものであろう。 ADA法成立後、全米の企業や店舗は大変な設備投資を迫られるわけだから、混 乱をまねいたり反動を起こしたり、あるいは差別が陰湿化したり沈潜化したりするこ とはなかったのかと、私などはかねがね疑問に思っていたのだが、日本のマスコミは なかなかそれを追跡してくれずもどかしかった。それがこの本の後半ではある程度彼 らの本音をまじえて明かされているので、関係者には参考になるだろう。 いずれにしても、アメリカの障害者たちの成果は(当然のことながら)一朝一夕に 勝ち取られたものではないということを教えられる。誰かがやってくれるだろう、などと 呑気にかまえていたら何も変わらない。日本でも他山の石とすべきだが、とはいえ アメリカは歴史の新しい(浅い)国だから日本のように政治的、経済的、文化的、 習俗的、宗教的な「しがらみ」が薄く、改革もしやすかったのではないか、という負け 惜しみが沸いてこないわけではない。 |