「奇跡の空」

★ 書名 「奇跡の空」
(ジャニーン・シェパード著、石井苗子訳、ベースボールマガジン社、1997年、2000円)

★ 書評(中島)

 筆者はオーストラリアのニューサウスウエールズ州生まれ。三姉妹の末っ子。
少女のころからスポーツに親しみ、陸上競技ではオーストラリア記録をもつほど。
その他トライアスロンやソフトボールやスカッシュなどに打ち込み、大学に入ってか
らはスキーのクロスカントリーに出会い、これこそ追い求めていたものだと思う。
とにかく肉体を極限まで痛めつけてトレーニングするのが好きで、クラスメートたち
からは「ジャニーン・マシン」と呼ばれていたという。

 いわゆる「脳みそまで筋肉の詰まっているような」スポーツウーマンであった。
(もっとも大学に入った最初の一年は世界中を旅してまわり、特にフランスでは
ベビーシッターとしてアルバイトし、フランス語がかなり上達し大学でも語学を専攻し
たくらいである)。ティムという恋人もでき一日中べったりの関係であった。
何をやるにしても頑張り屋である。私もスポーツをやっていたのでよくわかるが、
たぶんにマゾヒスティックな禁断症状でも味わっていたのではないかと想像される。

 しかし「好事魔多し」と言おうか。カルガリー五輪をめざして猛トレーニングを積ん
でいた1986年、彼女は自転車でクラブの仲間たちとツーリングに行った帰り、車と
衝突して脊髄損傷(第一腰椎の脱臼骨折、第10胸椎のマヒ)の対マヒとなる。
それからあとの治療やリハビリテーションのもようは、ほかの多くの闘病記と大差
ない。どこの国も似たようなものだ。家族や友人や医師や看護婦の支えが大きい
ことは言うまでもないが、ときにはカウンセラーの男性から性的なプライバシーに
関する突っこんだ質問を受けて憤慨したりもする。

 とはいえそれらの日々を一番支えてくれたのは恋人の存在であった。
やがて二人は結婚し子ども(帝王切開)も二人もうける。新婚旅行先のモルジブで
はスキューバダイビングを楽しんだりもする。それというのもギプスをつければ歩け
るほどに、脚力もわずかながら残っているからである。脊髄損傷の中では比較的
恵まれたほうであろう。

 しかしそれだけならどこにでもあるような話だ。この本を特別なものにしているの
は、「奇跡の空」というタイトルにもあるように、彼女が飛行機を操縦したり教官の
資格を取ったりするようになるところである。
 そもそも退院してこれからどうやって生きていこうかと悩んでいるとき、たまたま
台所で頭の上を飛行機の爆音が過ぎてゆくのを聴いて、突然「ママ、私、飛行機を
操縦したい」といいだす。母親のほうも「あら、とてもいいアイデアね」などと簡単に
答える。なんとまあイージーゴーイングな国民性。日本人ならとてもこうはいかない
だろうなあ。さっそく航空技術学校に入り指導を受ける。もちろん脊髄損傷の生徒は
初めてだから、教えるほうも戸惑い、ペダルの踏み方を工夫してやるなど試行錯誤
の結果、みるみる上達してゆく。

 やがて自家用操縦士免許もとり、事業用免許もとり、航空学校の教官となる。
今やすっかり空の魅力に取りつかれている。彼女にしてみればそれもスポーツの
延長といった気分なのだろう。

 ちなみに学校へ通う費用などは銀行ローンを組んでいる。事故の相手に対して
損害賠償訴訟を起こしているので、勝訴したときの額を担保にしている。
じつにまあ合理的でバイタリティーのある女性である。

 圧巻はオーストラリア空軍に手紙を書いて、「戦闘機に乗せてくれ」と頼むところ
である。彼女の熱意に打たれた飛行隊長からFA―18戦闘機のシュミレーターに
特別に迎えられる。なんとまあ勇ましい。
 日本人には戦後長いあいだ戦争の後遺症のため、軍隊に対するアレルギーが
あって、戦闘機に乗りたいなどと言い出すと、なんと勘違いされるかもしれない。
しかし彼女の願いは子どものように無邪気である。

 ことほどさように、徹頭徹尾「希望」のメッセージに貫かれている。ある程度の
ベテラン障害者なら微笑ましく読めるだろうが、急性期で混乱の渦中にある障害者
たちにはあまりにりおめでたく思えて、素直に読めないところもあるかもしれない。


★ 引用

「胸が張り裂けんばかりの困難が待ち受けていても、まだ希望だけは残されていま
す。苦しさにくじけまいと立ち向かっていく強さと勇気が、私をゴールにまで導いて
くれました。過去の自分には思いもよらなかった素晴らしい生き方を見つけ、ついに
は幸せをつかんだのです」





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