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(書評・中島虎彦) 星野富弘氏(1946年、群馬県星野村生まれ、群馬大教育学部卒、中学体育教師のとき体操の事故で頚髄損傷、入院中キリスト教洗礼、81年に結婚、1991年に星野富弘美術館が群馬県東村にできる)の6、7冊めになる詩画集である。 詩画59 点、エッセー24編からなる。取り上げられている花は氏の散歩道に咲いているマンサクやチュウリップやキクやアケビなどありふれたものもあるが、さすがに描き尽くした感があるのだろう。カサバルピナス、トキソウ、カッコソウ、バンダ、キンポウジュ、クマガイソウ、アダンの実、イチヤクソウなど耳慣れないものも描かれている。友人などが持ち込んでくるものもあるのだろう。それら画のほうは特に進境は感じないが、添えられた詩のほうに深まりがみえる。 「わらう・キク」 「さびしいねえ どこかへいきたいけど いけばもっとさびしいだろうねえ おしょうがつみたいに わらおうよ わらうとないてるかおに そっくりだねえ」 「犯人・ハナダイコン」 「私もあの犯人と 同じことを 考えた ことがある それがどんなに 悪いことか 今、あの人がおしえて くれた」 「逢いたい・コアジサイ」 「遠くて見えないのですか 近すぎて 見えないのですか 小さくて 見えないのですか 大きすぎて 見えないのですか どうしたら どこへ行ったら あなたに 逢えますか」 「大きな手・マロニエ」 「飛びたいのに 大きな手に おさえられて しまうんだって 誰の手だい 自分の手じゃ ないのかい」 「胸の火・キョウガノコ」 「あなたの 胸の火が わたしに 飛び火して 全焼です」 これらは氏のキリスト教(プロテスタント)信仰によるものであることは、すでに周知の通りである。しかし、同じ信仰を持たない者にもやわらかく染みとおってくるような普遍性を獲得しかけていて、宮沢賢治を思い浮かべたりする。次作が楽しみである。 とはいえ、くる日もくる日も口で絵を描く生活にはストレスもたまろう。いくら信仰によって安らぎを得ていても、そこは私たちと同じ生身の人間であるから、たまには次のような癇癪もおこしそうになる。むしろそれが共感をよぶ。 「噛む・アネモネ」 「筆を噛み砕きたい 時がある 槍のように 突き立てたい 時もある さまざまな思いが 風のように過ぎて 花を見ている」 そんな中、自然の写生に徹したものの中に、お説教臭さがなくて秀作がみられる。 「さくらんぼ」 「さくらんぼに 空が映る 麦畑を駆けて来た風が映る 洟を垂らした子供が映る 坂道を登るお葬式が映る 酔っ払いが映る 円くなった世界が映る さくらんぼに さくらんぼが映る」 自然の愛好者として、控えめな文明批評も随所に散りばめられている。「もっと怒りたい」という言葉もあるから、穏やかな氏をさえ動揺させるような自然破壊や不祥事がかの地でもひそかに進んでいるのかもしれない。 「雑草・ツユクサ」 「もともとここは 草はらでした そこに人間が 家を建てて 『雑草が生えて困る』 なんていっちゃって おかしいねえ」 その他、「雨ニモ負ケテ・マンゴー」のような氏には珍しいパロディーもある。私もだいぶ以前に「雨ニモ負ケズ 異聞」というパロディーを書いたことがあるので、苦笑してしまった。あるいは、父親がヒヤシンスを「ヒヤシャンセ」と冗談めかして呼んでいた話などもまじえてあって微笑ましい。 意外なところでは、アメリカの同時多発テロのころ自らの展覧会のためサンフランシスコにいたという。そこからにわかに緊急リポートに変わっていくのが新鮮だ。「もっと怒りたい」というのはこのあたりにも起因しているかもしれない。また父親が亡くなったり、転居したともいい、氏の身の上にもひたひたと変転が見舞っているのだなあと、「風の旅」から歳月の流れを思い知らされる。 いずれにしても総じて初期の「風の旅」から連綿と流れている「逆転の発想」が今回もみられる。頚髄損傷によってこれ以上はないという無力でか弱く無防備になったけれども、実はそれこそ最も真理(神)に近い場所であったと。自らの弱さを知った者こそ実は一番強いのであると。人生は十人十色であっていいと。そしてその発見は障害者たちを触発し同じように詩画を書くようになった者たちも多い。また健常な人たちにも癒しを投げかけていったことは周知の通りである。 ただ、しいていえば月刊「ノーマライゼーション」誌(2005年5月号)(日本障害者リハビリテーション協会編)のシリーズ「文学にみる障害者像」の中で、担当の松本昌介氏が「少女ポリアンナ」(エリナー・ポーター著)を取り上げ、「ポリアンナ・ゲーム」(どんな不遇な時でもその中から何か一つ良いことを見つけて明るく生きていくこと)について、確かにけなげではあるけれどそれだけでは物足りないという旨の批判をしているような例もあることを付け加えておこう。つまり個人の努力や信仰によるだけでは、世の中には解決しないこともあり、その時には障害者グループや市民団体などの勢力との協力によって社会的に訴えていかねばならないこともある。 また氏の家にはヘルパーさんは通って来ていないようだが(もし来ておられたらごめんなさい)、奥さんがすべての介護を担われているとしても、たまには休ませてあげることを考えられないのであろうか、年老いてからの日々はどのような体制を想定しておられるのだろうか、また他の障害者団体などとの関わりはどうしておられるのだろうか、などなど素朴な疑問は絶えない。 いずれにしても、富弘節は健在で慶賀の至りである。この本は詩画とエッセーのみで編集されており、初期のころのように写真やら自筆書簡やら何でもありのごった煮のような本作りからは、ようやく文学的に落ち着いてきたようである。なにしろ障害者本の品性に関わることなので、気になっていた。 |