「山の向こうの美術館」

★ 書名
「山の向こうの美術館」

星野富弘著、
偕成社、
2005年、1600円
★ (書評・中島虎彦)

 われらが頚髄損傷のスター星野富弘さん(1946年、群馬県星野村生まれ、群馬大教育学部卒、中学体育教師のとき体操の事故で頚髄損傷、入院中キリスト教洗礼、81年に結婚)の美術館が群馬県東村にできたのは、1991年のことである。当時はいろいろな声があったようだが、遠く離れた私たちには詳しいことはわからなかった。

 それがこの本の「まえがき」には実に面白く暴露されている。当時のふるさと創生資金、村民アンケート、村長のウソ、社会福祉会館の改造、雨漏り、批判、大フィーバー、ほくほく、建て替え、などなどここで全てを明らかにするのはあまりにも惜しい(笑)。ぜひ実際に本を読んで確かめてほしい。そうやって2005年に建て替えられたのを機会に、この本が出版されている。

 「苦しみによって苦しみから救われ、悲しみの穴をほじくっていたら喜びが出てきた。生きているって、おもしろいと思う」(「故郷への道」から末尾)

 「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・・流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」(「渡良瀬川」から)

 などという言葉からは、相変わらず勇気を与えられる。とりわけ次の言葉は多くの読者におなじみのものであろう。


 「花には一つとして余分なものがなく、
足らないものもないような気がした
ちょうど良いところに花がつき、
ほどよいところに葉があり、
葉と花に似合った太さの茎があった。
葉は花の色を助け、花は葉の色
と形をそこなわずに咲いていて、
一枝の花とはいえ広大な自然の
風景をみる思いだった。
私は絵に関しての知識はないけれど、
この自然の花をそのまま写して
ゆけば、良い絵が描けると思った」(巻頭の詩から)

 たとえば脊椎カリエスで俳人の正岡子規はその「草花帖」にスケッチを増やしてゆきながら、次のように言っている。

 「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分って来るやうな気がする」(病牀六尺)

 なるほど氏をはじめ多くの障害者たちが、寝たきりの床から草花の絵を描きはじめたことは、故なきことではなかったのである。得体のしれない「私」の煩悩にこだわっているより、自然に身を任せたほうがどれだけ気楽かしれない。ホオジロのさえずりに理屈はいらない。
 そこで、子規から茂吉へと至る「アララギ」系の自然主義リアリズム、つまり「写生」に自足する方向へ、「障害者の文学」が落ち着いてゆくのは、たやすく想像される道すじだ。さしずめ「年とり甲斐のある道」とでもいうべきだろうか。
 これは氏の本ではおなじみの主張である。私は「速さのちがう時計」(1992年)以来だろうか久しぶりに星野本を手に取ったが、詩も画も上の主張から大きな進境はみられない。

 しかしながらお言葉ではあるが、実際はコスモスやキンケイギクや薄緑色の花をした御衣香桜などいかにも変てこりんでバランスの悪い花もあるから、何事にも例外はあるということだろう。たとえば動物の中でも奇っ怪な姿をしたものがたくさんおり、それを集めた「へんないきもの」(早川いくを著、バジリコ(株)、2004年、1500円)などという本が売れたりしている。老婆心ながらもう少し視野を広げてみるべきだろう。

 その点、花の絵だけでなく今回は風景画にも挑んでいるところは新鮮である。むしろこちらのほうが氏の資質や人となりを窺えるような気がする。これからはこういう分野にも大いに挑んでほしい。人物画なども可能性を感じる。

 その他、エッセーの「アブラチャン」や、小学生時代の詩「くわとり」「さつまいもほり」「ゆうだちはありがたい」「つくえ」、作文の「うみ」「ぼくの家」「えんそくの朝」などもいたずら小僧だったらしく面白い。そんなふうに子どものころの絵も引っぱり出されて掲載されているのだが、なかなか味がある。氏はよく「絵や詩などそれまで書いたこともなかった」と謙遜するが、もともと素質があったのだろうと思わさせられる。

 また自筆の私信も掲載され、そこではキリスト信仰者同士の強い仲間意識とつながりが素直に表されている。これも氏の重要な一面であろう。

 そんななかこの本の最も文学的に見逃せないのは、エッセーの「あなたの素朴な心の詩に支えられて・・・八木重吉への手紙」であろう。

 「この明るさの中へ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかねて 琴はしずかに鳴りいだすだろう」

 というような同じキリスト者である重吉の詩への深い思いを吐露してある。健常者のころから重吉の影響がいかに大きいか告白している。現在の氏の信仰も決して偶然ではないと知らされる。またやはり頚髄損傷でキリスト者であるアメリカの画家ジョニー・エレクソン・タダとの出会いも、感動的に書かれてある。

 それにしても自分の生きている間に自分の美術館が二度もできるとは、いったいどんな感じなのだろう。私なら恥ずかしくて逃げ回るだろうと思うのだが。

 なお星野さんの作品についてはここの「芸術」欄に詳しく述べているが、最近の著書としては、「あなたの手のひら」(偕成)、「花りも小さく」(偕成)、「星野富弘全詩集『花と』『空に』二巻」(学研)などがある。


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