「車いす記者奮戦記」



★ 書名

「車いす記者奮戦記」


土井 清之 著、

朝日新聞社、

1993年、1300円



★ 筆者紹介

  土井清之(きよし)氏は1943年、広島県生まれ、67年に同志社大学文学部を卒業し
て、朝日新聞記者となる。各地の支局勤務をへて、80年から和歌山支局勤務。しかし
83年、直前の定期検診で異状がなかったにもかかわらず、動脈りゅう破裂によるクモ
膜下出血で倒れ、髄膜炎のため半年間意識不明、その後一年半のリハビリテーション
をへるが、左半身マヒで車いすの生活となる。

  しかし、職場の理解でそのまま和歌山支局に復帰。左耳失聴と左目の失明もとも
なったまま、朝日新聞和歌山版に「車いす記者奮戦記」を連載し、「天声人語」に紹
介され全国から反響をえて出版する。妻と娘に支えられての毎日である。全国脊髄損
傷者連合会和歌山県支部をはじめ、さまざまな障害者団体に所属して記者としてのア
ンテナを張っている。


★ 書評 (中島)

  この本で最もぎょっとさせられるのは、土井氏の妻可能さんの何気ない台詞である。
たとえば次のような情け容赦ない言葉が並ぶ。
 
  『いい介護の代理が見つかって、一日でいいからゆっくり眠りたい』
  『とうちゃんがいなかったらどんなに気が楽になるか』
  『連休は作らないで。土曜日も会社へ行って。なるべく顔を見たくないの』
  『気軽にお客さんを呼ばないで。接待がしんどいわ』
  『とうちゃんがポックリあの世へ行ってくれたら、バンザイバンザイよ』

  それについて土井氏は「ドキッとする言葉ばかりである」と言っているが、ドキッと
するどころではない。大事にされている障害者や甘やかされた障害者なら、その一言
一言が胸にナイフのように突き刺さってきて、ノイローゼになるかもしれない。
 
  もっとも奥さんの名誉のために付け加えておくと、彼女は根っから明るくて声が大
きく、歌が好きでカラオケ大会で優勝したこともあるという。そういう楽天的な人物だ
から、上の台詞にも他意はなさそうなのである。もし悪意からそんなことを言うのであ
れば、土井氏だってわざわざ公表したりはしないだろう。そのため土井氏はずいぶん
打たれ強くなったらしい。これも一つの荒療治といえるのかもしれない。  
 
  土井氏は半身マヒによる車いす生活となっても、杖を使えばなんとか歩くことがで
き、排泄も自分で始末でき、愛する妻娘に恵まれ、ちゃんと復職した上に年金も受け
ているような障害者である。独身で無年金の四肢マヒ者などからみると、雲の上の人
のようであろう。にもかかわらず彼は
 
  「妻なき後を想定すると、全く生きるメドが立たない」
 
  と杞憂しているのだから、一瞬ぽかんと口が空いてしまう。(ということは私たちも
また誰かの口をぽかんと空けさせているのかもしれない)。よく言われるように、上を
みてもキリがないし、下を見てもキリがないのだ。どちらの障害が重いか辛いか、ある
いは生まれつきの障害者と中途障害者ではどちらが辛いか、というような比較の議論
はいくらやってもキリがないし、なんの実りももたらさない。
 
  最近は先のような四肢マヒ者たちも、親の家や施設を出て町なかのアパートを借
り、多数のヘルパーやボランティアに通ってもらいながら念願の市井生活をはじめる
ケースが増えてきた。喜ばしいことだが、それですなわち自立したことになると思い込
むのは早計であろう。
  
  なぜなら、自力ではほとんど身の回りのことができず、介助者に頼らなければ一
日も生活できないという基本的状況は何ら変わっていないからである。介助者が家族
からヘルパーやボランティアに代わっただけで、そのヘルパーやボラだって何の都合
で突然あてにできなくなるかもしれない。介助を電動リフター類や集中制御システムな
どに代えても、電気が供給されなくなればお手あげである。つまり「明日の不安」は、
依然としてつづいているのである。まことに暗然とする話ではないか。
  
  そうしてみると、重度障害者たちはそれぞれの障害の程度にともないどこまで貪欲
に介護を確保しても、永久に気の休まることはないのではあるまいか。北欧やバーク
レーの最新福祉情報にため息ばかりついてきた重度障害者たちだが、これこそ究極
の施策や設備だろうと色めきたって報告していると、めまぐるしい技術革新でたちまち
新しい施策や設備にとって代わられる。

  数十年前は北欧の大規模な施設でのいきとどいた介護ぶりが垂涎の的だったの
が、近年は次第に縮小され在宅でのケアに方針転換されているのがいい例だ。
  
  そこで「何をもって最終的な福祉とするのか」という難題にぶつかり、「果たしてそん
なものがあるのか」と自らに問わねばならなくなる。そうすることで初めて、何かしらう
っすらと視界が開けてくるような気がする。


★ 引用

  「私の夢はただ一つ。妻の休日だ。(中略)疲れ切ったその口から出たのは、
『あなた、たった一日でいい休みがほしいわ』というほんとうにささやかな願い。
それすらかなえてやれない私。こころから『ありがとう』、そして『すまない』。」
 
  「自分が障害者になって、取材の関心はどうしても障害者に向く。障害者になって
生きて行くことにさまざまな不自由さを痛感する。不満がつのる。が、そうした不満が
どれほど甘いものかを思い知らせてくれた障害者に出会う」
 
  「障害者になって生きてきて、痛切に感じることが一つある。街作りの発想の転換
だ。(中略)障害者対策は付け足しという発想、この発想を大幅に転換しなければなら
ない。どんなに重度障害者でも車いす記者と名乗っているからには、内勤だけでは失
格だ。外へ出て人や自然に触れて町の話題を取材したい。だが、街へ出ると(中略)
車いすでの移動を阻む」
  
  「自立で目立つのは、脊髄損傷者である。たとえば、『全国脊髄損傷者連合会』
県支部長の中嶋達治さん。海南市に住むが、自宅で写植の仕事をしている。家の中
は車いすで自由に動き回われるように改造してある。ベッド、風呂、トイレなども工夫
している。そして、生活をエンジョイするためのオーディオ装置。車いすで、おそらくは
しんどいはずだが、そばから見ていると、まさに生活を楽しんでいるように見えてしま
うほどだ。連合会の全国大会にもマイカーで参加する。最近は卓球を始めた。

  確かに、スポーツを始めて明るくなった。また、パチンコが大好きで、よく近くの店
に遊びに行く。ラーメンが好物。夜になるとマイカーを走らせて食べに行く。全くどこか
ら見ても普通の生活である」



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