★ 癒しのセクシートリップ わたしは車いすの私が好き!

★ 書名
癒しのセクシートリップ
わたしは車いすの私が好き!

安積遊歩著、嶋田ゆかり編集、
太郎次郎社、
1993年、1800円
★作者紹介

 安積遊歩(あさかゆうほ)氏は1956年、福島県生まれ、骨形成不全、骨形成不全とはカルシウムを吸収しにくい障害で、ピラミッドの中の人骨にも残っているほど古くからあるらしい。原因も治療法もわかっていない。折れた骨が曲がったまま固まることも多く、変形した手足のまま小学生程度で成長が止まる場合が多い。氏の写真も可愛らしい。20歳頃からは安定するという。

 13歳までに20回もの骨折と8回の手術をくりかえす。小学四年までは普通校に通うが、五年から養護学校に入る。しかし人権への配慮がなかったため、教師や看護婦や医師とことごとくぶつかり「なまいき」というレッテルを張られる。レントゲン技師にセクハラを受けたりしたため、校長に直訴して退園。普通の中学校へ編入しようとするが無理解な校長の反対に遭い、一学期間棒にふる。校長の定年退職により教頭らの好意でようやく編入を許される。しかし障害がひどくなり辛い学校生活を送る。

 卒業して4年間は自宅に閉じこもり、太宰治や辻潤や島尾敏雄や大江健三郎や富島健夫などを読む。19歳のとき友人に誘われ「青い芝の会」の活動に参加し、「愛と正義を否定する」「自分が悪いんじゃない、悪いのは相手だ」「思い込みを否定する」「障害は個性だ」というようなメッセージに衝撃を受ける。以後は急速に障害者運動にのめりこみ、その中で年下のボランティアと初めての恋愛をし、家を出て半同棲生活をする。しかし性的に求めすぎて飽きられる。その後も好きになるのは健常な男性ばかりで、自分の中の差別性に悩む。やがて脳性マヒの男性と恋愛し、郡山で同棲する。しかし彼のあまりに野放図な生活ぶりにだんだん息苦しくなる。

 そうして6年めの1983年、28歳のとき、ミスタードーナツの募集するアメリカ・バークレーでの第3回研修に応募して、半年間の滞在をする。ここで自立生活のノウハウのみならず、ホモセクシュアルやレズビアンの友人たちと交わり、自らの偏見や固定観念からのびのびと自由になる。また「ピア・カウンセリング」の研修を受け、日本への紹介者となる。やがて障害をもつ女性であるという視点から「コウ・カウンセリング」の理論を普及することにつとめる。そのカウンセリングによってかつて虐げた妹との関係なども修復している。最近は原発問題や環境問題にもかかわっている。

 著書に「生の技法」(共著、藤原書店)、「自立生活プログラムマニュアル」(ヒューマンケア協会)などがある。 


★書評(中島)

 子どもの頃からのさまざまなエピソードに、後年身につけたフェミニズムの思想に基づくセクシャルな意味づけをして、再検証してゆくところが真骨頂である。
 たとえば学生時代は男性やテレビの眼差しが健康で美しい女性にばかり向いていることで、女性としての自信を失いがちになり、その反動で一人前の女性として認めてもらいたいためにレイプされる願望をひそかに抱いていたことを認める。そういう正直さと勇気がすがすがしい。泣く子も黙るかのフェミニズムの旗手上野千鶴子氏さえも本の帯で激賞している。同じような悩みを抱える障害者の女性たちは目からウロコが落ちてゆくようだろう。女性たちばかりでなく障害をもつ男性たちも、何もペニスをおっ立ててワギナに突っこむことだけが性愛ではないと、根強い男根主義から解放されて自由になるだろう。
 
 それにしても、氏は子どものころ障害をかさに着て大変なわがままぶりであったという。(それには父親の『自分の不心得に罰が下って娘が障害を負ったのだ』という古めかしい宿命観も拍車をかけていたのだが)。氏は父母や妹に無理難題をふっかけ当たり散らしたことを後悔しながらも、そうやって思いきり泣いたり怒ったりしたことで人間としてのエネルギーが発散され、現在の旺盛な活動のパワーの源になっているという。この述懐など驚かされる。なかなかそこまで冷静に分析できるものではない。

 そんなふうに物事をことごとくポジティブに、(言いかえれば自分の都合のよいほうによいほうに)解釈してゆく能力には舌を巻く。かの泣く子も黙る「青い芝の会」からの影響が大きいだろう。さらにバークレイ留学による経験も大きいだろう。そういう未知の体験に対してあまりにも手放しに賛美し傾倒してしまうところに一抹の危うさも感じる。それは裏を返せばそれ以前の生活にあまりにも実りがなかったという証明にもなるからだ。これは欧米に傾きがちな日本の福祉視察や研修にも言えることであろう。
 
 結局自分の希望をどんなことがあっても曲げず、それを臆せずに表明することができて、わがままなまでやりたい放題やれるような人間が、障害者になっても結果的には自立できやすいのではないかとさえ思われて、必ずしも肯えないところもある。安積氏とは反対に、子どものころ親兄弟の苦境を察するあまりなるべく迷惑をかけないよう気を遣ってきた人達も多いだろう。そういう古めかしい性格の人たちの失われた日々だってちゃんと報われるような世の中であってもらわなくては困る。


★ 引用

 「当時の施設での教育には、障害をもつことは『かなしいこと』『かわいそうなこと』『社会にとって迷惑なこと』というのが無意識の大前提としてあった。だから、もう四六時中、『障害をもっているのだから、迷惑にならないように生きなさい』『人のじゃまにならないように生きなさい』と、こればっかり。そして、とにかく『ごめんなさい、ありがとう、すみません』を忘れるな、とたたきこまれる」
 
 「言語化できない恐怖におそわれたとき、なによりも恐ろしいのは、その恐怖に名まえがない、社会的な了解事項ではないということで、すべてを自分に引きうけてしまうことだ(中略)けっして自分を責めちゃいけない」

 「私は、いまは一見、自立して完全に一人で生きていけるように見えても、小さいときから、いつでも人に助けてもらってきたので、根本的なキズとして「一人で生きられないんじゃないか」という不安をつねに抱えていた気がする。(中略)恋人と別れそうになったり、関係がしっくりいかなくなってきたりすると、かならずつぎの恋人を用意してから別れたので、二十歳のときからずっと、恋人を切らしたことがなかったのだ」

 「私はなぜかまえまえから、障害のない中年の男性がにがてだった。背広をきてネクタイをしめているオジサンのまえに出ると、無意識のうちに攻撃的なしゃべりかたをしてしまう(中略)私が傷ついた場面、場面に、背広を着てネクタイをしめた障害のない中年のオジサンが頻繁に登場していた」

 「私はいま、「教頭先生がいい人だったから」と言ったが、この言い方はやっぱりおかしい。(中略)校長や教頭がいい人か悪い人かで、子どもの当然の権利である就学権が認められたり、否定されたりするなんてことは、ぜったいにあってはならない」


書評TOP    HOME