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4-2. 脊髄損傷後疼痛の研究と治療に関する展望と指針
▼ 海外では、1990年代後半、脊髄損傷に伴う難治性異常疼痛の重要性が認識されるにつれ、そのメカニズムを解明するための基礎研究が進展した。「国際疼痛学会(the International Association for the Study of Pain、IASP)」は、1997年、「脊髄損傷後疼痛に関する作業部会(Task Force for the Pain following SCI)」を発足させ、「部会」の研究・調査の結果はその都度報告されてきた。 2002年に、その5年間にわたる作業の集大成として、「脊髄損傷疼痛−その評価、治療、管理(SCI Pain:Assessment、Treatment、Manage-ment)」を発刊している。編集者は作業部会の中心研究者であり、この問題に関する諸論点に即して、各分野からの最新の論文が集められ編集されている。この書の最後の章で、疼痛研究の現段階と治療のための今後の指針・展望が総括されている。この部分を要約、紹介することにしたい。
国際疼痛学会(IASP)
「脊髄損傷後疼痛研究作業部会」による研究
近年、脊髄損傷に伴う二次的影響への認識が高まっている。従来脊髄損傷に関する研究は、運動機能の回復に焦点がおかれてきたが、現在では、膀胱・大腸機能障害、性機能不全、痙縮、また疼痛を含む感覚異常などに取組むことで、脊損患者のQOLが大幅に向上しうるということが認識されている。この認識にもとづいて、1997年に国際疼痛学会
(IASP)は「脊髄損傷後疼痛研究作業部会」を発足させた。その目標は、脊髄損傷後疼痛を体系的に評価する方法を考案し、多種にわたる疼痛症候群の臨床特性、中枢機序〔中枢神経系における疼痛発症のメカニズム〕や治療方針に焦点をおいた研究を統合していく役割を果たすことであった。
委員が共同で研究に取組み、世界中の臨床基礎研究者とも協力し合う中で、様々な疼痛症候群に対する理解が大いに深まった。これを契機に関連テーマの報告書発表、プレゼンテーション、シンポジウムや国際セミナーの数も増え、また、疼痛に主眼をおいた臨床基礎科学研究プログラムへの資金助成が増えている。これも「作業部会」の成果の側面である。何よりも重要なのは、疼痛研究分野と脊髄損傷研究分野の研究者が、疼痛の発症機序をより理解できるよう共同研究をすすめ、お互いの専門性を共有するようになってきていることである。
過去五年間、様々な疼痛症候群の臨床的特性を定義することと、損傷レベルと同じレベルおよび下のレベルでの疼痛発現に影響を及ぼす種々の異なる原因を理解することにおいて、前進が見られた。大きな飛躍は、「作業部会」の研究にもとづいて、疼痛症状を効率よく分類する新しい分類法が考案されたことである。〔本書62頁の表1参照〕
最近、ブライス(Bryce)とラグナーソン(Ragnarsson)もこれと多くの点で類似した包括的分類案を発表している。
世界共通の分類法により、広範囲にわたる基礎臨床研究の結果を比較することが可能になると思われる。新しい分類法考案の目的は、実験研究や臨床試験の結果を理解しやすくすることと、新しい治療法を取り入れる際に、特定の疼痛症状に対してそれをどのように適用していくかの指針を求めることにあった。この分類法の特質は、包括的で、疼痛タイプと専門用語に関しては現在の臨床概念と一致している点にある。新分類法は、まだ発展段階であるため、様々な疼痛症候群の臨床特徴と臨床構造が解明されていくことによって、さらに改良されていくであろう。
疼痛発生機序の研究の現状と課題
脊髄損傷に関連した痛みの症状に対する効果的な治療法は進歩しているが、いまだに答のみつからない疑問は多い。より詳しい調査と研究対象分野をより明確にした臨床研究と基礎研究が必要である。
脊髄損傷後疼痛は、脊髄に生じた外傷性損傷と虚血性損傷の双方、またはいずれかによって起きる。脊髄実質の損傷から起こる事象は、感覚情報処理を担う脊髄神経回路の構造的および機能的な統合性を変化させる決定的な意味を持つ。このような変化の特性と範囲、また脊髄での疼痛発現機序の役割をより深く理解するためには、脊髄感覚ニューロンの残存機能と興奮性に影響を与える種々の細胞レベル事象と分子レベル事象を研究することが重要である。この目的を達成するには、脊髄損傷分野と疼痛分野双方の研究者の専門性を用いた集学的な取組み〔様々な専門分野の連携、協力が行われること〕が必要となろう。
現在の基礎研究のための「脊髄損傷動物モデル」すべてにおいて、脊髄損傷が特定の組織病理学的変化や脊髄感覚ニューロンの興奮性変化を引き起こし、誘発痛・自発痛の発症を示す行動、またはいずれかの疼痛に類似した行動を引き起こすことが示されている。疼痛行動を示す様々な動物モデルを体系的に比較することで、モデルすべてに共通点はあるのか、変化や差異はどのようなものか、これらはどのように人間の疼痛症候群と関係があるのかを確認しなくてはならない。また、それが今後の治療法の目標を示してくれるのか、ということも判断する必要がある。その場合、重要なのは、時間的経過に伴う組織学的変化と生理学的変化の特性を確定し
、それと損傷レベルおよび下のレベルでの疼痛行動の発症や進行との関係を明確にすることである。
脊髄損傷に伴って発生する二次的障害を理解する上で最も重要な進歩の一つは、分子生物学が活用されるようになってきたことである。それによって、脊髄のニューロンと脊柱管上のニューロンの機能特性に影響を及ぼす遺伝子発現の変化を特定することが可能となろう。脊髄損傷後に数種のカスケード〔組織から、生化学的反応を介して、次から次へと増幅した信号発信が起こること〕が起こり、その多くが細胞の信号伝達機能と細胞の生存に影響を与える。近年では、この過程で、炎症や免疫、興奮毒性がどのように働くかが重視されている。損傷に続くこれらの二次的反応や、損傷経過でグリア細胞がどのような役割を果たしているか、などについて一層研究が進むことで、疼痛発生に関与する中枢機序がよりわかりやすくなるにちがいない。
脊髄損傷後疼痛に関連する臨床特徴および中枢機序への理解が進めば、効果的な治療方法開発に自信をもてるようになる。
脊髄損傷の病態の生理学的変化、細胞レベル変化、分子レベル変化を理解するために重要な研究が進んでいる。これらの変化は損傷レベルおよび下のレベルでの疼痛を引き起こす中枢機序に関与している。
損傷によって脊髄に起こる変化に伴う病歴の追跡に 重点をおくことに加えて、脊髄損傷によって大脳皮質構造と大脳皮質下構造に起こる解剖学的変化、機能的変化、化学的変化に対する新しい評価も行われてきている〔大脳には痛みを認知する痛覚野がある〕。例えば、磁気共鳴スペクトロスコピー(MRS)という新しい検査技術を痛みの評価に応用する研究である。
〔MRSは、強い磁気をかけることによって、生体細胞内の物質代謝の測定を可能とする非侵襲的検査法である。MRI検査と同様、同一人の時間を置いての変化の検査も可能である。〕
これによって脳における疼痛認知ネットワークをイメージ化し、疼痛の強さや発痛部位を客観的に評価することも可能となろう。これらの発痛要因の変化に関連した研究により、疼痛機序に影響を与える起因部位と感覚情報処理に関与している諸要因があきらかにされていくと思われる。
すべての研究の計画には、様々な疼痛状態を持つ患者グループのデータを比較することが含まれなければならない。さらに、疼痛が発現しない脊損患者における病態の生理学的変化と化学的変化の特徴を見過ごすことはできない。これらの研究は、損傷レベルと同レベルおよび下のレベルでの疼痛を引き起こす脊髄と脊柱管上の機序の相互作用と時間的特徴をより深く洞察する上でも重要である。
疼痛の構成要素に関する今後の研究課題は多いが、人間の健康状態の特性についても多くの課題が残っている。おそらく従来の疼痛研究で最も欠如していたのは、以下の観点である。即ち、(1)損傷で変化した感覚の変容、(2)発痛部位の特異性、(3)痛みを訴える際の特徴的な表現法、(4)損傷脊髄の生理学的特徴と感覚変化の臨床的特徴を相互に関連づけるMRSイメージング研究の成果、これらに焦点を合わせた、入念に計画された縦断的研究の必要性である。時間的経過研究は、脊髄損傷後に生じた感覚変化の動的特性を示す有益な根拠を与える。
入念に計画された縦断的研究を実施することは困難だが、脊髄損傷後疼痛を理解する上で決定的な意味を持つ。この目標を達成するには、多施設共同研究で共用できる標準研究手順や疼痛行動調査の戦略が必要だろう。また、このような研究のデータを編集・分析するためには、国内と海外のデータベースを作成することが必要となろう。
疼痛の診断と治療法に関して
疼痛の新しい診断方法を開発していくことの必要性は依然として変らない。重要な課題は、様々なタイプの疼痛状態に関する治療の複合目標を作成することである。最も望ましいのは、対照設定され、無作為化され、多施設において実施される臨床試験である。ただ、このような臨床試験を計画する際、研究者は標準化した用語を用いて、特定の臨床的状態を持つ患者からなる均一な母集団を作り出さなければならない。臨床試験の結果を入手しやすいように一箇所に保管すれば、医療従事者にとって貴重な情報源となるだろう。
慢性疼痛は複雑な症状であり、通常、治療計画の効果をさらに複雑にする心理社会問題と関連性がある。試験計画の質をさらに高め、有効な治療パラダイムを作成するためには、特定の疼痛症状が悪化したり安定したりするような患者の日常活動における要因範囲を明らかにすることも不可欠である。
薬物療法は最初に行う治療であり、侵襲的な外科治療等は選ばれたわずかの患者に希望を与えている。従来の医療アプローチに加え、行動認識アプローチや、鍼療法、マッサージ、リラクゼーションなどのような補完的戦略についても新しい治療手順を開発・試験しなくてはならない。
このような複合的アプローチを評価する上で重要なことは、成功した治療例とともに望ましくない結果となった治療例も報告されねばならないという点である。
薬物をクモ膜下に投与することもまた評価を要するアプローチであり、特にモルヒネ、クロニジン、バクロフェンなどの薬物を併用することに関しては見極める必要がある。ギャバベンチンなど、従来の薬物で、新しい適応症として疼痛に対しても投与管理が可能であると見込まれるものついても十分調査さるべきである。
さらに、遺伝子治療や分子神経外科などの技術は、疼痛発現に関連していると化学的に確認されたニューロン群を対象としているが、このような技術も検討し見定めるべきである。同様に、外科診療の結果も見定める必要がある。脳や脊髄の、疼痛発現に関与すると推定される部位を切除する技術の成功事例は、特定タイプの脊髄損傷後疼痛の中枢機序を理解する上で役立つだろう。
損傷した脊髄に機能を回復させるための研究から得られた結果は、脊髄損傷後疼痛を理解する上で重要である。現在、研究者は損傷部位の再生を妨げる障害を克服する上で大きな前進を遂げつつある。これらの方法は、運動機能回復の可能性を示唆しているが、疼痛を悪化させる可能性もありうる。この理由から、損傷した脊髄の機能を回復させるために考案された治療戦略が感覚機能に及ぼす影響を研究・評価することが必要である。
脊髄損傷後疼痛が初めて文献等で紹介されたのは100年以上前になるが、長期治療で一貫して効果のあったものはまだない。脊髄損傷後の中枢性疼痛への理解を一層深めていくためには、臨床的に関連のある実験モデルを用いた研究が不可欠である。用いる実験モデルは、損傷に伴って生じる病理学的変化や疼痛行動がヒトでの場合と類似しているものでなければならない。新しい治療法を確立するためには、神経の情報伝達系に作用する薬物療法という従来の方法に留まらず、生存細胞や疼痛信号伝達経路を標的にした新しいアプローチを含めて研究範囲の拡大も必要となろう。最近では、慢性疼痛を治療する細胞移植アプローチの開発が進んでいる。細胞治療法が疼痛治療においても大きな位置を占めるようになる可能性もある。
要約すれば、今後一層の努力が望まれる課題は次の点である。第一に、脊髄損傷に固有の疼痛症候群を定義する専門用語の標準化、第二に、損傷に関連する特定の痛みの診断・治療に関する情報の効果的な共有、第三に、
脊髄損傷研究分野と疼痛研究分野の専門研究者の協力、である。これらを推進するための体制が早急に整えられることが望まれる。脊髄損傷分野と疼痛分野双方における、基礎研究と臨床研究の集学的掛け橋を強化していくことが、効果的治療法を見出し、患者のQOLを改善していく上で、最も望ましいところである。
[典拠参考文献]
Robert P. Yezierski and Kim J. Burchie“Future Directions for the Study and Treatment of Spinal Cord Injury Pain”(Robert P. Yezierski and Kim J. Burchiel編著、Spinal Cord Injury Pain:Assessment, Mechanisms, Management. IASP Press 2002 所収)
・翻訳:伊藤美乃里(赤十字語学奉仕団)
・要約・〔注〕 :阿部由紀
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