講演会報告集 3ページ



 司会を終えて  

 読売新聞医療情報部記者  坂上 博

 「主治医が性の問題をちゃんと説明してくれなかった。だれにも相談できずに悩み続けた」。

 3年前、アメリカ泌尿器科学会を取材するため、ダラス市を訪れた際、会場で話を聞いた男性(当時32歳)の嘆きの言葉を思い出した。

 元警察官の彼は、銃を持った男に後ろから撃たれ、脊髄を損傷。下半身不随となり、性的不能になった。しかし、医師から、その事実や治療法について、具体的な説明がなかった。

 退院後も、妻とともに悩み続けた。しばらくして、経口治療薬「バイアグラ」があることを知り、試したところ、性生活がよみがえったという。

 彼の話を聞いた時、私は、その悲しみ、つらさを深く理解していたとは言い難い。「そんなにセックスに、こだわらなくても良いではないか」との思いが、かすかにあったことは否めない。

 私も含め、日本人は性の価値を低く見がちだ。脊髄損傷者は、交通事故や労災事故などが原因で受傷することがほとんどだ。突然の不幸により、車いすを使うようになったり、寝たきりになったりする。そこまでの境遇は、かなりの深刻さを持ってイメージできる。

 しかし、性の問題になると、我々は思考を停止してしまう。生命の危機が去った後、彼らが人知れず悩んでいることに、目をそらせてきたのではないだろうか。興味本位の関心ばかりが先立って、性の問題の大切さを表だって論議しようとしなかった。

 しかし、今回の講演会に参加して、見方が大きく変わった。「セックスはコミュニケーションの一つ。性の喜びを感じることで生き方も積極的になれる」。「自分のセクシャリティを、どこか否定してきた。仕事に自分の存在価値を求めた」。「男性に比べ、女性のセクシャリティはなおざりにされている。脊髄損傷に詳しい婦人科医に会ったことがない」。

 こんなに多くの当事者から率直な意見を聞いたのは初めてのことだった。「性の問題が人間の尊厳、人生感に大きくかかわっている。しかし、彼らをサポートする体制が整っていない」と、改めて気づかされた。

 一方で、日米の専門家の講演によって、治療法は着実に進歩していることも知らされた。毎年、約五千人の脊髄損傷者が新たに生まれているそうだ。とても、人ごとではいられない。

 当事者だけでなく、医療関係者、一般市民にも、ぜひ、この講演内容に目を通してほしい。きっと、偏見なく、障害者のセクシュアリティを考えることができる出発点になると思う。




 ワ−クショップ

 −−当事者が<性>を語る−−

 デュ−シャム博士+当事者

 デュ−シャム きょうこのように集まっていただいたのは、この問題に関しては私よりも皆さんの方が実際にいろいろな経験をしていらっしゃいますので、これまでのご経験とか、それに関する問題などをお話しいただいて、ほかの方々とシェアしていただくというふうな形で進めていきたいと思っております。

 私が話しているときでも止めていただいて構いませんので、こういう経験がありますよとか、これに関してこういう質問があるのですがというふうに、どんどん出してください。では始めますので、お願いします。

 セクシュアリティの「価値」

 先ほどもお話ししましたように、米国では障害を持った方々がドクタ−とかリハビリテ−ションのドクタ−たちに、こういう情報を出してくださいとプッシュしたわけで、それ以前は全く性に関する情報は提供されていませんでした。性的な適応というのは、障害に対する適応と同じように、自分が障害を持ったとき自分の感情がどういうふうに変わったとか、どういう気分でいるのかということと密接に結びついています。ある1つの方法があって、これをしなさいということではありません。一人ひとりが違うので、その人にあった方法を適用していくということです。この性的な適応はどうすれば達成することができるかというと、自分の性的な障害をほかの障害も含めて受け入れ、それをどういうふうに自分の人生に組み込んでいくかということです。

 まず考えていただきたいのは「価値」ということです。障害がある、なしにかかわらず、そのセクシュアリティの問題というのはどのくらいの価値があるものなのか、そしてそれが失われるということは、自分にとってどのくらいの損失なのかということを考えていただきたいと思います。

 そして、男性として、女性としてしっかりと気持ちよく生きていくことができない、いろいろなことに適応することができないということになると、自分自身に対するケアもおざなりになってしまったり、いろいろな皮膚の疾患面の問題が出てきたり、友だちがつくれないというような影響も出て来ます。自分の状態をどんどん話せる人、「こうするとここのところが気持ちがいいんだよ」とか「パ−トナ−と新しくこういうことを試してみよう」とか、過去にはどうであったなどということにはこだわらずにいろいろなことを試してみたり、創造性を高くすることができる人は、障害を持っていてもセクシュアリティに対して上手に適応できる人です。

 それから、自分がセクシュアルな意味での人間ということで、今までよりもとても気分がよくなったとか、今までよりも自分に自信がついたというようなことがありましたら、こういうことがあったのでそういう気分になれたということをちょっとここでお聞きしたいんですが……。

 静かですね。「こういう問題を克服することができました」というセクシュアリティに関してのご経験を皆さんに話してくださる方はいないでしょうか。そちらの方いかがですか。まだどなたもおられませんか……。

 脊髄を損傷した後で、自分のセクシュアリティについて心理的に何の束縛も受けずにセクシュアル・パ−ソンであると認識するまでには、時間がかかるものです。先ほどもお話ししましたように、受傷後早い時期には、退院してから遭遇する自分のセクシュアリティに対応していくためには、自分が変わらなければいけないということをあまり認識していない方が多いようです。

 脊髄損傷の方の中で、セックスに関して非常に積極的な活動ができる人は約半分です。そして、退院してセクシャルな活動ができる、性行動をとっているという50%の人の中の30%ぐらいの人が自分の性生活に満足を感じているということで、100人のうち15人程度になります。退院して1年後に、自分は性的に非常によく適応していると感じている方は少ないですし、自分はこういう問題をかかえているということを話す人は、もっと少ないです。受傷後、性生活に戻れるようになるには何年もかかりますし、異性にアプロ−チしてみようというふうに自分に自信が持てるようになったり、自分が強くなれるまでにはまた何年もかかるものです。

 受傷後、セクシュアルな面でほんの少数の人だけはハッピ−ですが、あまりハッピ−ではない人が多い理由は何でしょうか。これは男性と女性では随分違います。例えば、男性の場合は体の動きに制約ができてしまったので、性行為の体位が限られてしまうという問題があります。また、受傷後は射精してもオ−ガズムを得ることができないので、とてもフラストレ−ションを感じてしまいます。そして、受傷後に性的なパ−トナ−を探すことはとても難しいので、とても寂しいということにもなります。そして、パ−トナ−にとって以前と同じような性交ができないということになると、以前していた性交の仕方がものすごく重要であったととらえるわけです。

 女性は男性と大きく違いまして、身体的な理由よりも心理的な理由でハッピ−でなくなります。これからパ−トナ−になる可能性のある男性にとって自分は魅力がないのだ、脊損の女性とデイトしてくれるような男性はいないのだ、自分の体や外観が変化してしまったのでパ−トナ−にとって自分はもう魅力がないのだ、というふうに考えてしまいがちです。セクシュアリティには関心がないという女性も多いです。

 それでは、愛情を感じて親密になるだけではなかなか足りないとか、皆さんがお持ちのいろいろな経験をお話ししていただけたらと思うのですが、どうでしょうか。


 パ−トナ−に伝える勇気

 ▼:「今、直接行為のことについていろいろなお話しがありましたけれども、その行為にいく前の段階、つまり、男女のつき合い方からお互いに男性も女性も自分の障害をさらけ出すことができなくて心を閉じてしまっていると。その原因は、性に関する能力が全て失われてしまったとか、体が変形したりやせ細ってしまったとか、つまり恰好の悪い体になってしまったことで異性に対して自信がなくなってしまったという、今、その入り口にあるのではないかと思います。

 最近、特に若い人はそういうことで非常にナイ−ブになっており、自分のことをさらけ出すのが恐ろしいので、なかなか女性とつき合えないという人が多いのではないかというふうに思っています。つまり、その辺の関門をまず取らないと、やがて幸せな、あるいは喜びを得るような男女関係にはならないのではないかということを私は非常に心配しているわけです。私は随分長いこと脊損をやっておりますが、最近の若い人においては特にそういう傾向が見られます。

 私の持論をここでさらけ出しますと、つまり、自分のみすぼらしさだとか、あるいは汚いだとか不能であるとかいうことをどのようなテクニックで伝えればいいのか知りませんが、先に異性に伝えないとなかなか心と心が結ばれるのは難しいのではないかと思っています。常々、私はその入り口のことについて、今の若い人の心配をしているところです。

 例えば、昔は修学旅行のときなど皆さんフルチンで、すっぽんぽんで風呂に入りましたけれども、今は水着を着て風呂に入り、お互いにそういうのは見せ合わないという傾向にあります。もう1つは、自宅にはマイル−ムがあり、自分だけの部屋だということで、家族としてもなかなか入って行くことができない。そういう人が脊髄損傷になった場合、非常に不幸だというふうに、私は常々思っています。隠さなければならないことがたくさんふえてしまい、自分の肉親にもそれを見せないで閉じこもってしまう傾向にある、というのが私の見方ですが、それは違うな、という意見があれば誰か言ってください。まず、自分の心のバリアを取ってからでないと、異性との喜びを得ることはできないというのが私の考え方です。」

 デュシャ−ム 多くの点で、私も同意しております。自信を失いやすいということが非常に多く見られるので、それはとても大切なポイントになってくると思います。脊損の方の場合、1度失ってしまった自信をどうやって回復していったのか、少しずつ何かにトライして少しずつ回復していったとか、女性に話しかけてもらったとき、急に自分に自信が持てたというようなエピソ−ドなどありましたら教えてください。例えば、リハビリの過程において自分で服が着られるようになったとか、体が動きやすくなったというような身体的機能の回復によって自信を取り戻していくというのは私も医療現場で見ておりますが、心に自信を取り戻すことができたという皆さんのご経験をお聞かせいただきたいのですが、どなたかお願いします。


 自信を取り戻す

 ▼:「車椅子に乗れるようになったとか、あるいは仕事で金が稼げるようになれば、自信が持てるようになると思うんですね。」

 ▼:「そうですね。人としての自信ということを突き詰めていうと難しいと思います。まず、障害を持っているということを自分自身が受け入れて、そこから、さあ、今度は何をやろうかと前向きに考えて、やりたいことが見つかって、それができるようになって、ああ、これができたのだという段階を経ていく中で、多分、少しずつ自信がついてくるんだと思います。障害を受け入れることができないと何もできない、絶対に前に進めないと思います。自分から外へ出て行き、人と話をしていく中で自分なりのものが見えてくれば、それに向かって行くことで自信は自然についてくるという気がします。」

 デュシャ−ム 大変重要な点ですね。デ−トに誘ったりしたとき1度断られてしまうと、その後ずうっと頑張って誘っていくというのはやはり難しいところがありますよね。

 ▼:「やはり、大きな価値観の転機があったような気がします。具体的には、障害者になる前の健康なときは、よい、悪いの判断基準が頭の中に無意識に入っていたと思います。スマ−トさや経済的に恵まれている状況をよしとしたり、知識や思考力があることをよしとする考え方が無意識に頭の中に入っていたと思います。そして、それに反するものを悪いとする、あまりよくないと考える傾向が無意識により強く存在していたと思います。しかしながら、障害者になって何年目かで一人暮らしを始めたときに、今までのよしとする考え方を継続していこうとしても、以前の価値観でやっていこうとしても、自分自身の生活が成り立たなくなったと。要するに、以前の価値観で一人暮らしをするということはありえない、できないことだったわけです。

 一人暮らしをするためには現在の自分の姿をありのままに認めて、ありのままに表現する方が生きていきやすい、その生きやすいということに価値を見出して、その価値観に基づいて生きていくことをよしとする考え方。動かないとか、体が醜くなっているとか、思考力がないとか、そういうものはあってもなくてもいいんだと。 自分の持っているものを対応する人にその通りに表現していく、そんな生き方が最も価値のある生き方だという考え方に達したとき、楽になったような気がしました。ありのままに表現して生きることが最大の価値であるという考え方はどういうときに生まれ、つくられるか。それはやはり、しんどい状況で生きている人とか、一人暮らしをしている人とか、逆境で生活している人とのつき合いの中でのみ得られるものであり、同じ障害者でもスマ−トな障害者とか、エリ−トの障害者とのつき合いでは決して得ることはできないのではないかと。それは徐々に身につくものではなくて、何十人かで温泉に行ったり海に入ったりする経験によって、一瞬にして変わるものではないかとつくづく思います。以上です。」

 デュシャ−ム 皆さんがそのような新しい価値観にたどり着くまでには、ちょっと時間がかかるような印象を受けましたけれども……。

 ▼:「時間がかかるというよりも、そういう価値観を持っている人とのつき合いが生まれるか、生まれないかということが大事であると思います。例えば、障害者になって半年後とか1年後とかにそういう価値観を持っている障害者と1週間ぐらい旅をすれば、そういう価値観は必ず自然に身につくと思います。ただしそういう経験がないと、10年たっても、30年たっても、そういう価値観は身につかないという印象を強く持っています。」

 デュシャ−ム そうすると、やはり自信を持つためには外に出て行き人に会うこと、そういった新しい価値感を持っている人たちと交わることが大切なんですね。

 それでは、自分自身が経験した変化とか、このような成長過程があったというようなことをお話しいただける方はほかにいらっしゃいませんか。

 ▼:「私の場合はけがをしたことによる精神的なショックがかなりあったので、隣の人に会うのも嫌だったり、会社の同僚が訪ねて来ても会わなかったりした時期が1年近くありました。その後、絵をかき始めたことがきっかけで、人とのふれあいや外とのふれあいが少しずつ生まれてきまして、その中から徐々に今までの自分を捨てていきました。つまり、会社に勤めていたとき持っていたプライドとか、過去に持っていたプライドとかを全部捨てて、新しい自分の中にプライドを見出すという過程を経て、初めて自信を持って外に出て行くことができたし、その時点で自分が変わることができました。だから、いかにして過去の自分と決別し、新しい自分自身を見つけることができるかということだと思いました。」

 デュ−シャム ありがとうございました。ほかにいらっしゃいますか。

 ▼:「僕は子どものころに受傷しまして、その後も家族の中でずうっと育ちました。もちろん、Oさんがおっしゃったように絵をかくことによって自分の障害を少しは忘れることができたので、救われたな、という気持ちはあります。自分の好きなことが1つ見つかり、それが仕事にもつながったということです。でも、僕の場合は受容というのがまだはっきりわかってないんですね。

 絵をかき出すと、人に会うというような煩わしいことを避け、自分と社会とを断絶させ、自分の世界だけを築こうとするようなことを10年近くやってきました。ところが、作品を発表するとか個展を開くというようなことで人と接することになったとき、あれ、何かおかしいぞ……という、そこからですね。それから受容できたのかな、と思いました。人との関係性みたいなもの、社会へ出ていくというものが、僕の場合なかったもので……。後は、先ほどFさんがおっしゃったように旅とか、他人と一緒にどんどん積極的に外に出て行こうということで……、今は東京にいるんですけれども。

 家族の中から飛び出したことによって自分に自信がつき、いろいろな他人と一緒に暮らすことができるようになりました。 性に関してはまだこれからでしょうけれども、障害を受け入れるということについては、僕の場合は絵をかく、画家になるという夢を持ってチャレンジしたことで受容できたのかな、という感じですね。」

 ▼:「Fさんにも聞きたいんですけれども、Fさんは、何回かアメリカへ行っているんですよね。」

 ▼:「今、障害児教育について勉強しているんですが、そういう勉強をして改めて自分についても考えています。私が受傷したのは中学2年生のときで、13歳でした。子どもとも大人ともつかない段階だと思うんですが、そのあたりにけがをしました。けがをした理由は水泳での飛び込みでしたが、それでも水泳が好きでした。私が自信をつけたのは、1年間入院していたリハビリテ−ション病院の先生に泳がせてもらったことがあったからではないかと思っています。

 それと、けがをしてから13年ぐらいたちますが、初めて1人で電車やバスに乗ったり、初めて新幹線で名古屋に行ったときなど、自分で新しいことを経験したり、過去にやっていたことを取り戻すことによって、受容はまだまだこれからだと思うのですが、自信をつけて自分は育っていると思っています。あと1つは、もといた学校に復帰することができたので、いわゆる健常と呼ばれる友人たちと、受験とかいろいろな競争をしたりして暮らしてきました。競合的な環境というのも、やはり、自信をつける基本になるのではないかと思います。そんなところです。」

 ▼:「私の場合は運よく結構回復することができたのですが、やはり昔のような運動能力は戻りませんでした。もともとスポ−ツが好きで、スキ−だとかいろいろなことをやっていたのですが、やはり昔のように滑ることができなくて、くやしい思いをしました。

 しかし、ここであきらめてしまうと身体能力がこれ以上伸びないと思い、それからも何度かスキ−に行ったり、最近は会社の同僚と草野球をしたり、どんどんいろいろなことに挑戦するようにしています。自分の身体能力が戻っていくというのか、できることがどんどんふえていくのがやっているとわかるのでおもしろいし、そういうことを感じるときに自信を取り戻していると思います。それから、私は昔よりもだいぶ運動能力が劣っているんですが、その私よりも運動能力が劣っていたり足が遅い人が健常者の中には結構いるので、そういう面でも自信を持つことはあります。」


 受傷後の性関係

 ▼:「私の場合は膀胱瘻なのですが、性的な関係を持つとき、隠そうとして、見えないようにズボンをはいたままでという形でもっていこうとしていました。そういった恋愛をしていましたが、隠しているとなぜか本気になって好きになれない、というのがずうっと続いていました。

 1年以上前ですが、この娘になら何でも話せると思い、膀胱瘻のこととか、汚いところとか、トイレのこと以外は全て話すことができたとき、初めて本当に人を好きになることができまして、それが1つ自信につながりました。隠したり自ら壁をつくってしまったりすると、本気になってコミュニケ−ションをとることができないということがそれでわかりました。実際に結婚されているHさんからもお話を聞きたいんですけれども。」

 ▼:「うちのケ−スは受傷したあと結婚したので、ある程度のことは家内にはいってあったつもりなのですが、それでも最初のころは結構戸惑いがあったと思います。性に関することは……、何というのでしょうか、フィ−ル・ギルティというんですかね、私はちょっと罪悪感を感じています。要するに、セックスのあの感覚というのですかね。けがをする前に持っていたフィ−リングをセックスの快感であるというふうに考えて、先生がほかの喜び方、例えば、感じる部分での快感とか、あるいは視覚とか嗅覚でも満足が得られるというふうにおっしゃるのですが、私はどうもそこまで満足できないでいるんですね。

 だから、ちょっと家内に対しては罪悪感を感じています。そういうセクシュアルなコンタクトというのが、最近ほとんどないな、と思っています。だから非常に男としてだらしがないというか、人間の尊厳というか、そんなところまで突き詰めていくといってしまうのかな、でも、これはけがをしてしまったのだからしょうがないのかな、というふうな感じを今持っています。ちょっととりとめなくものをいう感じですけれども、そんなふうに感じています。」

 デュ−シャム 非常に大切なポイントだと思ったのは、受傷前の非常に狭い性交というイメ−ジがどうしても皆さんの中にあるのですね。ただ、受傷した後に、いろいろ試してみる中で匂いとか味覚、肌の感じなどでより深い繊細なセックスができるようになったという人もいます。実際に、私は男性の脊髄損傷者のパ−トナ−である女性たちと話をしたことがありますけれども、脊髄損傷になってからの方がゆっくり時間をかけてくれるし、思いやりがあるし、いろいろ工夫して愛してくれるので、それはそれですごく満足しているという人たちがいました。

 脊髄を損傷している方々は新しく好きな人ができたとき、自分の障害のこととか、これからコミニュケ−ションをするにあたって期待していることとか、何をしてあげることができるというようなことを、どのようにお話ししますか。最初から話しておいた方がいいという考え方の人もいるでしょうし、実際にそのときが来るまでは話さなくてもいいと考える人もいると思います。ある男性はセックスをする前に尿のところを空にしておかなければならないということをまず彼女に見せて、説明してからコミュニケ−ションを始めるという人がいました。自分のセクシュアルについていつ語るのか、どこまで語るのか、ということについてお話いただきたいのですが。

 ▼:「そうですね。私の場合は身体的に見えるところだけ、つまり膀胱瘻と足が動かないので、どのような体位でするのかということぐらいで、射精に関しては言っておりません。タイミングとしては、やはり事前にいうのがベストかもしれませんが、私は徐々に親交を深めていくようにしているので、一気にではなく徐々に、告知するのも徐々にという形です。」

 デュ−シャム 必要に応じて徐々に話をしていくのが一番いいという方が多いみたいですね。もう1つ大切な点は、自分の体のどこが感じやすいかということです。脊髄損傷の方は、けがをした辺りに触られると気持ちがいいということがよくあります。耳の後ろとか首筋を使って気持ちがいいと感じる人がいます。だから、より親密になっていくためには彼女や彼に対して、どこを触ってもらうと楽しめるとか、気持ちがいいと感じることができるということを話したり、逆にこちらから何をしてあげたらいいのかということを話し合うことができると一番いいですね。

 Hさんとも話したんですが、ほんの些細なこと、例えば、触覚からではなく、ちょっと暗めの電気をつけておいて視覚的に見るとか、どういうふうに感じるかということを言葉で説明してもらうことによって、聴覚から感じとっていくこともできます。

 ▼:「それは男性よりも女性の方が感じやすいと思うのですが、どうでしょうか。」

 デュシャ−ム そうですね。神経が完全に切断されていなくて一部でもつながっているような障害であれば、足の内側とか性器の部分にどこか少しでも感覚が残っている場合があります。以前とは触り方が変わってくるかもしれませんが、障害を受けたためにもう感じないと思っているような部分でも、パ−トナ−とコミュニケ−ションを取りながらいろいろと試してみることによって、より可能性が広がります。性器の部分だけではなくほかの部分でもいろいろ試してみたら、こんなことを発見したとか、どの部分を触ることによってセクシュアルな気持ちを味わうことができたとか、自分で工夫をしてみたとか、クリエイティブにしたという方がいらっしゃいましたら教えていただけませんか。

 ▼:「私の場合はデュシャ−ム博士の話のほとんどのことが当てはまっています。私が受傷したのは40代のときですが、夫婦間のコミュニケ−ションにとって肌の触れ合いというのは一番大事なことだと考えていました。家内は、もうそんなことをしなくてもいい、と言ってくれたのですが、やはりそういうものではないと考えて、視覚あるいはオ−ラルによるセックスなど、いろいろと工夫して夜の生活をしてきました。最初は感覚が全くなかったんですが、性器に一部感じるところがあるのがわかりまして、もしかするとできるのかも……ということで、自分で刺激を与えたりいろいろ工夫をすることによって、勃起するようになりました。

 しかし、現実の問題として、勃起してもすぐに射精してしまう、勃起した瞬間にば−っと出てしまうんです。だから、勃起はするけれども役に立たないという感じでしたが、それを続けていくうちに射精までの時間が少しずつ長くなって、ある一定の時間我慢できるようになりました。正常な勃起状態にはなりませんが、何とか性交できるような恰好にはなってきました。そういう状態の中で元を縛ってみたりいろいろ工夫してやってみたところ、現在ではそれをしなくても女性上位の体位で何とかできるようになりました。

 やはり、自分があきらめてしまってはいけないんじゃないかと、可能性が1%でもあるうちは一生懸命そういうことに関して……。日本人の国民性といいますか、タブ−視されているセックスのことですが、やはり、夫婦間においてこれは特に大切なことだと思いますので、あきらめずに挑戦していったらいいのではないかというふうに考えています。」

 デュシャ−ム ありがとうございました。とても重要なポイントの1つだと思いますので、そのことについてもう少し一緒にお話していきたいと思います。ほとんどの人たちは道具などを使ってセックスの工夫をしています。それから、反射性の勃起などもありますが、ほとんどの場合勃起を維持することは大変難しいです。

 しかし、パ−トナ−と工夫していくことによって、勃起を維持することができます。例えば、根元のところを縛っておくとか、パ−トナ−に睾丸とか性器を刺激し続けてもらうことによって勃起を維持することができれば、セックスは成功するでしょう。

 それでは今日は一応ここまでにしましょう。




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