子どもがほしい脊髄障害の女性とその家族のために
牛山  本日はお忙しいところ、座談会にご出席いただきましてありがとうございます。皆さんは、脊髄障害を持ちながら人生の大事業である出産・育児を体験した方々です。私どもの調べた範囲では、出産体験をお持ちの方はごく少数で、たいへん貴重な体験を持った方々であります。  本日、このような座談会を企画いたしました理由は、これから子どもがほしいと考えている脊髄障害を持つ女性とそのご主人、ご家族の方々に、脊髄障害があっても出産ができるということ、そして、子どもを持った喜び、育児に関する情報等を伝えたいと思ったからです。同じような脊髄障害の方々にも幸せな家庭を作っていただけたら、それが究極のリハビリテーションの完結であると考えております。
 進行は、当センター看護師の寺岡、道木、古田が務めさせていただきます。皆さんよろしくお願いします。
図1 出産経験のある脊髄障害者の内訳
図1 出産経験のある脊髄障害者の内訳
国立身体障害者リハビリテーションセンターで出産に関する調査を44名の女性に行いました。
そのうち、外傷性脊髄損傷の方は32名(頚髄損傷8名、胸髄損傷23名、腰髄損傷1名)、二分脊椎症の方は12名でした。
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妊娠に気づいたときの気持ち
寺岡  まず、妊娠を知った時のことからお聞かせください。一般的にはすごく嬉しい気分でいっぱいだと思うのですが、皆さんの場合は、他にもいろいろ頭をよぎるものがあったのではないかと思うのです。嬉しいという他に、どのように思いましたか。
松田  その時まで子どもを産もうと思っていなかったので、私は嬉しいという前に「しまったな」、「どうしたらいいのかしら」と思いました。そのうち考えが変わって、「がんばろうかな」という気持ちも出てきましたが、不安と嬉しさで、とても複雑な気持ちでした。泣きながら一人でいろいろなことを悩み考えました。でも、主人や親友との話し合いを通して、産むことに決めました。
 残念ながら、親に反対されましたから4ヵ月ぐらいは嬉しいよりは落ち込んでしまう日が多かったです。親に認めてもらいたい、でも認めてもらえない…複雑な心境でした。そんなわけで主人と二人でがんばろうと思いました。親友が応援してくれたので、それが一番の支えになりました。
寺岡  親御さんは育てられるのかということを心配して言ってらっしゃったのですね。
松田  そうですね。結婚すること自体反対でしたから。
寺岡  自分でしまったなと思ったのも、やはり育てられるのかしらということでしょうか。
松田  私たち夫婦はやらなきゃとなると、やるしかないという性格なのですが、最初に心配したのはやはり親や身内のことです。それですぐに親には相談せず、先に親友に相談しました。
寺岡  そのお友達がいなかったら違っていたかもしれない。
松田  そうですね。その後、だんだんお腹が大きくなってくるにつれて、今度は自分の不安が出てきました。育てられるのか、ちゃんと産めるのかなど、また自分の体の心配もありました。だんだん苦しくはなっていくし、お腹の中では子どもが動き出すようになる。でも、そこからまた気持ちが変わりました。考えていられない、不安に思っていられない、とにかく自分の体を壊さないように毎日毎日をちゃんとしなければと。
寺岡  お腹の赤ちゃんが育つと同時に、どんどん気持ちが変わっていったのですね。
松田  そうですね。
寺岡  いいお友達がいて良かったですね。では、浅野さんはどうですか。
浅野  私は、子どもができたため結婚することになりました。主人も脊損ですが、装具をつけて歩くことができ、感覚もある程度残っています。脊損だと精子が弱くなっていて、子どもができにくいという話を聞いていたので妊娠しないだろうと思っていましたが、妊娠してしまいました。
  ちょうどその頃、一人暮らしや仕事を始め、精神的にいろいろ参っていたので生理が遅れているのかと思っていました。でも、念のため妊娠検査薬で確認したら反応が出たのです。それで泌尿器科の牛山先生に相談しました。
寺岡  自律神経過反射とかに対する心配はなかったですか。
浅野  障害者で子どもを産んでいる方を知っていましたし、特にそういう不安はありませんでした。できにくいはずなのにできたので、これは産まなきゃなと思いました。生活や育児はどうにかなるというか、どうにかするしかないと思いました。
  両親に話したら叱られましたが、でもはじめだけでした。私が今までも親の言うことを聞いてこなかったので止めても無駄だと思ったようです。主人の親は逆に喜んでいました。
寺岡  Sさんはいかがでしたか。
 うちは結婚して7年目でやっと子どもができたので、大変嬉しかったです。主人の健康面で少し問題があり、3回の人工授精のあと顕微授精でやっと妊娠しました。でも、両方の親には内緒にしていたのです。主人の親も私の親も過剰に心配性なのです。それで子どもが生まれてから言おうということにしていました。お腹もそれほど目立たなかったし、仕事にも行っていたので全然気づかれませんでした。
寺岡  では病院受診も出産も、治療された病院でされたのですか。
 はい。
道木  待ちに待った妊娠なのに、ご両親に内緒にされていたことについて教えていただけますか。
 主人は7つ年下ですが、私の親に私が障害者という意識が強くあり、健康な方と結婚してうまくやっていけるだろうかということを心配していたから、先に同棲して勝手に結婚しました。両方の親にはあっさりと結婚を認めたくないという気持ちがあったみたいなので、子どもができたと言ったらまた心配するだろう、またひと悶着あるだろうと思って。
道木  ご両親に出産について話されたときは、いかがでしたか。
 とても喜んで、今までと180度変わってしまいました。
道木  心配することはなかったのですね。
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妊娠中の困ったこと
寺岡  妊娠してだんだんお腹が大きくなってきて、できなくなったこと、生活で困ったことなどはありますか。
 工夫してうまくやっていました。車も産気づいたときは自分で運転して来ないでねといわれるほど運転していました。車いすを車に載せるのはお腹からのほうからでなく、背中のほうから入れたりして工夫していました。
道木  妊娠中は、車いすを積み込む時に、お腹の上を通すのは危険ですね。
 怖いですよね。
浅野  私はやっていました。
道木  お腹の上を通すのは、やめましょうと話しましたよ。
浅野  えっ?あまり大きくなってからは、まずいかなと思いましたけど。
松田  私はずっとやっていました。
道木  何か工夫されたのですか。
松田  厚さ5cmくらいの座布団型のスポンジを2つくっつけてお腹の上に置いて、毛布を掛けて車いすを積んでいました。
浅野  私の場合は、だんだんお腹が大きくなって車いすがお腹と車の間を通らなくなりました。
松田  そうそう、苦しいのよね。
浅野  周りも心配してくれて、働いているときも会社の人が乗り降りを手伝ってくれました。
  あと赤ちゃんは羊水に守られているから、けっこう大丈夫というようなことをテレビでみて「あっ!そうか」と思って、安心してやっていました。
道木  買い物や料理などはどのように工夫されていましたか。たとえば、スーパーマーケットのかごなどはどのように持っていましたか。
 片手でかごを持って、もう片方で車いすをこいでいました。曲がりそうになったら、今度は手を変えて。
道木  買い物も一人でこなしていたのですね。
 子どもが生まれてからのほうが買い物は大変でした。子どもをだっこ紐で抱いて、片手でかごを持って、片手で車椅子を操作する。
道木  ご主人と一緒ではなかったのですね。
 お休みが日曜日だけですから、平日はそうしているか子どもが寝ている間に行ったりしました。
道木  Sさんは、確か、褥瘡ができたことがありましたね。
 妊娠の終わりぐらいのときでした。
道木  出産前だったのですね。それで退院が延びたのですか。
 いいえ、それは子宮にばい菌が入ったからです。退院の前日ぐらいから熱が出て、それで延びたのです。でも、その間に子どもが病院で大きくなって楽でした。
道木  お子さんが歩き始める頃、裸足で歩く姿をみて、「歩くってどんな感覚だろう」、「これって痛くないの」とすごく心配していらしたのを覚えています。
 足が柔らかいので痛くないのかなと思ったのです。
道木  病院で検査しているときに、どこかへ行ってしまわないように、お子さんに“天使の紐”をつけていらっしゃいましたね。
 そうでしたね。あまり役に立たなかったです。子どもは意外と遠くへ行かないものです。 
牛山  仕事はずっと続けていたのですか。
 いえ、妊娠6ヵ月ぐらいで辞めました。できる前は生まれたらすぐ復帰しようと思っていたのですが、妊娠したら可愛くなってきて、仕事は辞めて一緒にいたいと思うようになりました。
図2 妊娠期の合併症
図2 妊娠期の合併症
出産経験者44名(妊娠件数66件)の妊娠合併症です。便秘症状の悪化、貧血や尿路感染症は、一般の妊婦さんに比べて頻度が高い傾向がみられました。褥瘡や自律神経過反射は一般の妊婦さんにはみられない合併症です。尿路感染症、貧血、妊娠中毒症、切迫早産などに対する管理が大切です。
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