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| 寺岡 |
まず、妊娠を知った時のことからお聞かせください。一般的にはすごく嬉しい気分でいっぱいだと思うのですが、皆さんの場合は、他にもいろいろ頭をよぎるものがあったのではないかと思うのです。嬉しいという他に、どのように思いましたか。 |
| 松田 |
その時まで子どもを産もうと思っていなかったので、私は嬉しいという前に「しまったな」、「どうしたらいいのかしら」と思いました。そのうち考えが変わって、「がんばろうかな」という気持ちも出てきましたが、不安と嬉しさで、とても複雑な気持ちでした。泣きながら一人でいろいろなことを悩み考えました。でも、主人や親友との話し合いを通して、産むことに決めました。
残念ながら、親に反対されましたから4ヵ月ぐらいは嬉しいよりは落ち込んでしまう日が多かったです。親に認めてもらいたい、でも認めてもらえない…複雑な心境でした。そんなわけで主人と二人でがんばろうと思いました。親友が応援してくれたので、それが一番の支えになりました。 |
| 寺岡 |
親御さんは育てられるのかということを心配して言ってらっしゃったのですね。 |
| 松田 |
そうですね。結婚すること自体反対でしたから。 |
| 寺岡 |
自分でしまったなと思ったのも、やはり育てられるのかしらということでしょうか。 |
| 松田 |
私たち夫婦はやらなきゃとなると、やるしかないという性格なのですが、最初に心配したのはやはり親や身内のことです。それですぐに親には相談せず、先に親友に相談しました。 |
| 寺岡 |
そのお友達がいなかったら違っていたかもしれない。 |
| 松田 |
そうですね。その後、だんだんお腹が大きくなってくるにつれて、今度は自分の不安が出てきました。育てられるのか、ちゃんと産めるのかなど、また自分の体の心配もありました。だんだん苦しくはなっていくし、お腹の中では子どもが動き出すようになる。でも、そこからまた気持ちが変わりました。考えていられない、不安に思っていられない、とにかく自分の体を壊さないように毎日毎日をちゃんとしなければと。 |
| 寺岡 |
お腹の赤ちゃんが育つと同時に、どんどん気持ちが変わっていったのですね。 |
| 松田 |
そうですね。 |
| 寺岡 |
いいお友達がいて良かったですね。では、浅野さんはどうですか。 |
| 浅野 |
私は、子どもができたため結婚することになりました。主人も脊損ですが、装具をつけて歩くことができ、感覚もある程度残っています。脊損だと精子が弱くなっていて、子どもができにくいという話を聞いていたので妊娠しないだろうと思っていましたが、妊娠してしまいました。
ちょうどその頃、一人暮らしや仕事を始め、精神的にいろいろ参っていたので生理が遅れているのかと思っていました。でも、念のため妊娠検査薬で確認したら反応が出たのです。それで泌尿器科の牛山先生に相談しました。 |
| 寺岡 |
自律神経過反射とかに対する心配はなかったですか。 |
| 浅野 |
障害者で子どもを産んでいる方を知っていましたし、特にそういう不安はありませんでした。できにくいはずなのにできたので、これは産まなきゃなと思いました。生活や育児はどうにかなるというか、どうにかするしかないと思いました。
両親に話したら叱られましたが、でもはじめだけでした。私が今までも親の言うことを聞いてこなかったので止めても無駄だと思ったようです。主人の親は逆に喜んでいました。 |
| 寺岡 |
Sさんはいかがでしたか。 |
| S |
うちは結婚して7年目でやっと子どもができたので、大変嬉しかったです。主人の健康面で少し問題があり、3回の人工授精のあと顕微授精でやっと妊娠しました。でも、両方の親には内緒にしていたのです。主人の親も私の親も過剰に心配性なのです。それで子どもが生まれてから言おうということにしていました。お腹もそれほど目立たなかったし、仕事にも行っていたので全然気づかれませんでした。 |
| 寺岡 |
では病院受診も出産も、治療された病院でされたのですか。 |
| S |
はい。 |
| 道木 |
待ちに待った妊娠なのに、ご両親に内緒にされていたことについて教えていただけますか。 |
| S |
主人は7つ年下ですが、私の親に私が障害者という意識が強くあり、健康な方と結婚してうまくやっていけるだろうかということを心配していたから、先に同棲して勝手に結婚しました。両方の親にはあっさりと結婚を認めたくないという気持ちがあったみたいなので、子どもができたと言ったらまた心配するだろう、またひと悶着あるだろうと思って。 |
| 道木 |
ご両親に出産について話されたときは、いかがでしたか。 |
| S |
とても喜んで、今までと180度変わってしまいました。 |
| 道木 |
心配することはなかったのですね。 |