2000年(平成12年)7月18日 日経産業新聞に
 掲載された「21世紀の気鋭」の記事

日経産業新聞に掲載された記事


日経産業新聞 2000年(平成12年) 7月18日(火)

21世紀の気鋭
                    慶応大学医学部助手
                         仲尾 保志 氏

 交通事故で命拾いしても神経を傷つけてしまい、物がつかめないなどの障害に悩む人は多い。慶應義塾大学医学部助手の仲尾保志(41)は、機能が失われた体の組織を元に戻す組織工学(ティッシュ・エンジニアリング)を武器に、そんな患者の治療に挑む研究者だ。新しい医療技術を開発、企業とも共同して実用化を推進する。

 切断神経の回復も

 「仲尾先生はいらっしゃいますか」−−。東京・新宿の慶応大学病院には全国の患者からそうした問い合わせが後を絶たない。仲尾の専門は「手の外科」。訪れる患者は、一度はほかで治療を受けたもののうまく回復せず、困り果てた末に駆け込んでくる。全国から患者が集まるのは、仲尾が神経の再生技術を持つからだ。

 失われた体の組織復元

 メスの切れ味はもちろんだが、仲尾が普通の外科医と違うのは、新しい治療技術の開発に自ら積極的に取り組むところだ。神経が切れた部分にチューブを補い、神経細胞の成長を促す実験に成功。長さが二センチを超えるような治療が難しい神経の切断も回復させられる可能性を示した。さらに内視鏡手術の装置を開発して米国に特許を出願。米医療機器メーカーのスミス・アンド・ネフューが商品化し、来年には販売が始まる。「患者の苦しみが研究の原動力」という。

 交通事故などで手足の神経を切断する患者は年々増えている。多くの患者は皮膚や筋肉の組織が戻っても、神経が切れているため感覚と運動機能に障害が残る。これまでは無傷な足から神経をとって移植していたため、大きな傷がつく。代替え技術を求める声が強く、仲尾の新しい研究への期待は大きい。

 研究と臨床の両立目指す

 自らを「臨床科学者」と表現する。年間二百人以上の手術をこなしながら、やく十人の研究チームを指揮。「臨床は一人の医師で数百人の患者を救える。しかし科学的な研究を進めることで、もっと多くの患者を助けられるはずだ」。臨床と同時に研究を重んじるスタイルを確立したのは海外留学の経験がきっかけだ。

 チャンスを逃すな

 「ヤスシ、オープン・ザ・ドア」。留学先のカナダ・トロント大学で教授からかけられた最初の言葉だ。この励ましの言葉の意味は「チャンスを見逃すな」ということ。多くのチャンスは気付かないうちにドアの外を通り過ぎてしまう。ドアを開け、視野を広げないと、好機は手からすり抜けていく・・・・。

 仲尾はこの言葉に刺激され、研究に打ち込む。当初は待遇が悪く無給で研究を続ける日々だったが、次第に地力を発揮し、拒絶反応をうまく抑える移植技術の研究で成果を上げていく。留学三年目には五人の学生を抱える研究室長に”出世”した。

 幅広い交遊関係

 視野の広さは研究にとどまらず。交遊関係も指揮者の小沢征爾やドトールコーヒー社長の鳥羽博道、音楽家の坂本龍一など多岐にわたる。こうした人たちと会って刺激を受け、夢を膨らますことが、研究と臨床という二足の草鞋(わらじ)をはくエネルギー源になっているという。

 米ワシントン大学と協力して新しい治療に取り組んでいる。組織工学分野の進歩は早い。あらゆる組織になりうる胚(はい)性幹細胞(ES細胞)といわれた脊髄(せきずい)損傷の患者を治療できる光が見えてきた。「患者がいる限り治療の可能性を追求する」と、睡眠時間をすり減らしながら精力的な研究を続けている。 =敬称略  (竹下)


 組織工学

 血管など商品化

 体の組織や臓器を機械の部品のように交換する−−。そんな革新的な医療技術を可能にするのがティッシュ・エンジニアリング(組織工学)だ。以前は死体から取った皮膚や血管などを保存して移植する程度だったが、培養液や凍結保存の技術が急速に進歩して細胞組織の育成加工が容易になり、医療応用も広がった。

 これまでに皮膚や骨、心臓弁、血管、血液が商品化され、神経や肝臓の臨床試験も始まっている。特に薬や在来の外科手術では太刀打ちできない神経や血液系の病気の治療に大きな期待がかかっている。

 先行する米国では一九九0年代になって民間企業の参入が相次いだ。日本もキリンビールやメニコンなどが事業家へ名乗りをあげている。世界の市場規模はすでに一兆円を超え、二0二0年には四十兆円を上回ると見られている。


写真説明

慶応大学医学部助手 仲尾保志 氏

(なかお・やすし)一九五八年生まれ、大阪府出身。八四年慶応大学医学部卒、整形外科学教室に入局。九一年カナダ・トロント大学訪問研究員、九二年から九四年まで米ワシントン大学医学部主任研究員。九五年から現職。




過去ログTOP   報道TOP   関連資料TOP   TOP MENU