2001年(平成13年)1月1日 毎日新聞に掲載された
 「神への挑戦 : 第1部 生命を再生する」の記事


毎日新聞 2001年(平成13年) 1月1日(月曜日)


(新)  神への挑戦


第1部 生命を再生する


  じっと鏡を見る。そこに映る「自分」。日々悩み、怒り、喜ぶ「自分」。
一方、いまこの地球に存在する霊長類ヒト科ホモサピエンス。
「自分」はその一人でもある。20世紀末、ヒトのゲノム(全遺伝情報)が
ほぼ解読され、ヒツジやウシでは、クローン(もとの個体と同じ遺伝子を
持つ生物)が誕生した。1971年、毎日新聞は「神への挑戦」を長期連
載誌、生命操作がもたらす夢と危うさを描いた。それから30年。
「挑戦」はすでに新たな段階に入った。人間とは? 文明の行方に深く
かかわる問いは、一層鋭く私たちに突き付けられている。どのような答
えがあるのだろうか。最先端の現場をめぐるところから、私たちの新しい
世紀の「知の旅」を始めよう。


 2匹のサル。A とB。
元日早々、サツバツとした話を許していただきたいが、A・B 2匹とも頭と胴体を切り離す。Aの頭をBの胴体に移植する。つまり、頭の(あるいは、胴体の)すげ替えである。

 こんな実験がかつて米国クリーブランド市で行われていた。最初は、摘出したサルの脳や頭部を人工心肺装置につないで血液を供給する実験だった。毎日新聞の連載「神への挑戦」でも紹介された。「すげ替え」は、その次のステップだった。73〜76年に約15例行われた。最長1週間生きた。すげ替えサルの視覚・聴覚・嗅覚は完全に正常だった。

 ケース・ウェスタン・リザーブ大のロバート・ホワイト名誉教授(73)に会った。この実験の当事者である。実験を中心になって行ったのは、脳神経外科医の高岡淑郎氏(61)=現・同大教授=だった。高岡教授は顕微鏡でのぞきながらサルの細かな血管を縫いつなぎ、頭と胴体を見事につないだ。

 その結果を踏まえて、当時、ホワイト名誉教授は「人体への応用だ」と語った。当然、大きな議論を呼んだ。しかし、賛否はともかく、実のところ、当時それは「夢物語」に過ぎなかった。

 頭と胴体の血管がつながっても、首の部分で切断されたせき髄の神経はつながらない。だから、脳からの信号は胴体には伝わらない。すげ替えサルは手足は動かず、寝たきり状態になる。せき髄のような中枢神経は再生しないというのが、当時の常識だった。

  頭部移植のパネルを手に、かつての実験を説明するホワイト名誉教授(左)と
  高岡教授=2000年12月、米オハイオ州クリーブランドで。


  頭部移植にも現実味


  「せき髄が再生できなければ、移植自体に有用性はない。それに実験は脳の働きを調べるのが目的だったから、拒絶反応や感染症対策についても何も考えていなかった」と、高岡教授は振り返る。
 だが、医学の世界では「夢」はいつまでも「夢」のままではない。さきの常識を覆す成果が次々に明らかになっている。



  問われる人間の根源


 京都大の川口三郎教授(61)=神経生理学=らは、せき髄を約2ミリ切り取ったラットに別の胎児ラットのせき髄を移植し、運動機能を回復させた。移植を受けたラットの神経細胞が胎児ラットのせき髄を足場に再生し、約3週間後にはほぼ完全につながった。おりの中を走る移植ラットは正常なラットとまったく区別がつかない。米国では、この方法を人間に応用することも検討されているという。

 「胎児のせき髄には神経の再生を促す物質があるのだろう。これを突き止めたい。せき髄を損傷して車椅子生活になった人が歩けるようになる瞬間が確実に近づいている」と川口教授は自信をみせる。

 大阪大の岡野栄之教授(41)=分子神経生物学=らのグループは、せき髄が押しつぶされ、前脚がまひしたラットをほぼ元通りに回復させた。胎児のラットのせき髄から、神経幹細胞を取って移植した。

 交通事故などでは神経が押しつぶされ、後遺症で体が動かなくなることが多い。修復するのは、切断された神経を治すより難しいとされる。しかし、実験では神経幹細胞が増殖して神経細胞になり、損傷した神経をつなぎ直した。損傷に伴う炎症が治まるころに移植すると、もっとも効率よく再生することも分かった。

 スイス・チューリヒ大のマーティン・シュワブ教授(51)は95年、ラットを使った実験で、神経の再生を妨げる働きを持つたんぱく質を発見した。このたんぱく質の作用を抑える抗体をラットに2週間投与したところ、約2センチにわたって切り取られたせき髄が再生した。シュワブ教授は、人にも同様のたんぱく質を作る遺伝子があると考えている。「人体への応用も数年後には必ず成功するはずだ」と教授は語る。せき髄の再生が出来るようになれば、頭部・胴体のすげ替えが現実味を帯びてくる。


 ホワイト教授の頭部移植の実験は、引き継ぐ弟子もなく中止された。案内してくれたかつての研究室で「ここももうすぐ博物館になる」と冗談を言った後、ホワイト名誉教授は続けた。

 「脳は臓器と違ってどんなに医学が進んでも機械への置き換えは出来ない。新世紀にはヒトの頭部移植が実現し、私たちの業績が先駆的な研究として評価されるだろう」 だが、頭部移植が現実になったとき、次のようなことも起きるかもしれない。

 金持ちの中年が若く魅力的な肉体を手に入れるために脳死した若者の体を自分の体と取り換える。頭部をのぞいて、がんが全身に広がった科学者が、その頭脳を生かすために脳死者の胴体をもらう−−

 根源的な問題もある。ヒトA と ヒトB。Aの頭をBの胴体に移植して、ヒトCが生まれたとき、Cは人格としてAなのか、Bなのか。ホワイト名誉教授の論文を邦訳した和歌山県立医大の板倉徹教授(54)=脳神経外科=は、こう指摘する。

 「心が脳に宿るとすれば、胴体は臓器の集合体だとも言えるが、心は体全体に宿ると考える文化もある。頭部移植が現実化する前に、それが人間にとって望ましい医療かどうか、改めて議論しなければならない」




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