神経再生研究における胎児組織利用に関する見解
2005年4月5日
NPO法人 日本せきずい基金

1. 脊髄損傷者の想い  
 人生の途上の一瞬の事故がもたらしたもの、それは一人の人間の「社会的な死」(保険では死亡同様の扱い)に等しいのが現実である。重度障害の場合、意識が戻ったときには手も足も動かない。食事も、入浴も、排泄も全て人の手に委ねなければならないことの精神的苦痛を想像することができるだろうか。介護のために家族の生活をも奪っていく現実。
 20代で受傷すれば半世紀以上もその状況の中で生きていかなければならない。麻痺した身体がかかえ込まざるを得ないこの過酷な現実こそ、私たちが脊髄神経再生の実現を渇望する根底にある。
 自発呼吸だけでもしたい、食事だけでも自分でとりたい、排泄、入浴を自分一人で・・・・・・・・・・・。指先を、そして上腕を動かし、立ち上がること、そして再び歩く日の到来を、私たちは一日千秋の想いで過ごしている。

2. 神経再生研究の可能性  
 21世紀の前半に、いやこれから10年以内の神経再生研究の中で、その可能性が現実のものとなることを私たちは強く期待している。
 現実にも、神経再生の基礎研究は日進月歩の状況にある。神経の修復・再生に可能性がある細胞・物質としてヒト幹細胞、鼻粘膜細胞(OEC)、骨髄間質細胞などの骨髄系細胞、臍帯血、マクロファージ、4-アミノピジリン(大規模第V相治験中)等がある。このように最近2、3年間に、神経の修復・再生の可能性を示す新たな細胞や物質の研究報告があいついでなされてきている。
 これらの研究のいくつかは動物実験レベルの研究からヒトにおける臨床研究段階に入ろうとしており、その着実な発展のためには基礎研究と臨床研究を結合させ総合的な研究体制をもった脊髄再生医療センターの開設が我が国における緊急の課題となってきている。
 
3. 胎児組織の研究利用に関して
 神経再生研究に用いられるソースの1つとして胎児由来組織がある。動物実験では高い再生能力を示すソースとして注目される一方では、いかなる胎児由来組織も研究利用すべきではないという意見もある。
 特に人工中絶については、過去から宗教界を中心に議論され、今でもその是非をめぐり宗教的、政治的にも極端な意見対立(特に欧米で)が見られる。胎児細胞に関しては、人としての生命の根源に関わる問題であり、生命倫理学的課題として倫理学者・宗教学者の間で過去から議論され続けている重要な課題である。
 従って、この人工中絶と中絶胎児の取り扱いは、それぞれの国の文化、宗教、その時々の時代背景によって倫理観も大きく左右され、世界的にも最大公約数的な国民的コンセンサスを得る<結論に至る→トル>までに膨大な時間を要するであろうと思われる。
 ここで現実として、優生保護法による胎児条項が人工妊娠中絶を容認し、我が国では年間30万件以上の中絶が実施されていている状況がある。このような中絶により廃棄される胎児組織のごく一部を、その提供者に充分な説明と合意を得る条件で、なおかつ厳格なガイドラインの規定下で、脊髄損傷や各種難病などの治療研究に用いることは、許されてしかるべきである。
 私たちは、ヒト胎児組織を特別の尊厳を持った存在として取り扱うべきであると認識している。同時に私たちは、厳密な手続きを定めた研究において、胎児由来組織による神経再生の可能性が徹底的に検証されることを望んでいる。

4.日本における研究利用の現状につて
 厚生労働省における「ヒト幹細胞の臨床研究に関する専門委員会」は2001年から審議を開始し1年ほどでその指針が策定する予定であったが、未だに指針を作成できずに現在も(中断に近い)審議継続中である。
 もし仮に、既にヒト幹細胞による治験が行われ、動物レベルの基礎研究で科学的に立証されたと同様な脊髄の修復・再生効果が重度脊損者に再現されていたとしたら、その障害者のQOL(日常生活の質)は大幅に向上していたはずである。例えば人工呼吸器の必要な重度頸損者の日常は激変するであろう。常時呼吸器依存による日常から開放され、重篤な介護が不必要となることは、本人はもとより家族にとってもその日常が、その人生がどれほど違うかは容易に想像し得る。その後の人生は、重度障害から開放され全く違った、本人の本人による本人のための将来となるであろう。
 従って、この指針作成の遅れた結果が意味することは、厚生労働省、指針作成のための委員会が、重度障害者を救済できる可能性の追究を現実には放棄していると言っても過言ではない。
 以上の観点から、私たちは厚生労働省の「ヒト幹細胞の臨床研究に関する専門委員会」が、中絶胎児組織の研究利用を含めた臨床研究ガイドラインを早急に策定することを強く要望する。
 現在の、一定のガイドラインもない無規制の状況は、無意味な臨床研究の横行も許すことになって患者を大きなリスクにさらすことにもなり、無責任であると言わざるを得ません。従って、現時点で合意可能な結論を出し、責任のあるガイドラインをつくることは、国の社会的な責務であると私たちは考える。

以上



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