米国脊髄損傷資料集

■ II―3 APAの研究助成例

1997年第2研究期の助成から

1997年の第2研究期、APAは総額494,602ドルの
個人への研究助成金を授与
Andrew R. Blight, Ph.D.
University of North Carolina Chapel Hill, NC

「二次脊髄損傷のトリプトファン代謝の遮断」

  脊髄損傷は最初の外傷の後の連鎖的に起こる神経のダメージにより悪化してしまう。この二次的破壊を食い止めることが脊髄研究の主な目的である。科学者達は、炎症も含めこの二次的破壊が起きるメカニズムをいくつか指摘してきた。

  この研究はキノリン酸という、人間と動物の両方の体の中で炎症の副産物として大量に放出される物質に焦点を当てることになるであろう。キノリン酸は神経細胞膜にチャネルを開き、そして細胞を死へと導くことになる。脊髄損傷後の神経の損失にキノリン酸が果たす役割を調べるために、この実験にはモルモットモデルが使われる。 Blight 博士のグループはすでに4クロロ3ヒドロキシアントラニル酸(4Cl3HAA)という薬剤がモルモットの中のキノリン酸の生成を抑え二次的組織破壊を抑えているようだということを示している。

  しかしながら、その薬剤がキヌレン酸という神経細胞を保護する物質の放出を促し、それが好ましい結果を生む原因にもなり得るのである。

  本研究によって、キノリン酸の生成の阻止が機能の改善という結果を生むのか、キヌレン酸の放出がそういう結果を生むのか、そして、4Cl3HAAによる初期の効果を維持できるかということが明らかになるであろう。
Avis H. Cohen, Ph.D  University of Maryland College Park,MD
「ヤツメウナギの幼生の脊髄損傷後の機能不全の回復」

  ヤツメウナギは切断もしくは損傷した脊髄を再生して脊髄損傷から回復することができるので脊髄研究のモデルとして重要である。しかしながら、Cohen博士の研究室では、まだ確実なことは分かっていないがある条件下では、ヤツメウナギの回復力がきちんとした機能回復をもたらさず、非常にぎこちない動きしかできない状況になってしまうことがあることを発見した。

  この研究では三つの要素、つまり、水の温度、脊髄損傷の種類、損傷の場所が回復の程度にどのように影響を与えるかを見るためにヤツメウナギの幼生を使う。これらの三つの条件を注意深く変えて、機能不全にどれが、もしくはどの組み合わせが最も深く関わっているのかということを調べることになる。その結果によって、研究者が予後のヤツメウナギの状態を、機能が回復するのか機能不全になるのか予想することができるようになる。そうすると、そのウナギを、正しいか正しくないかは別として、神経回路がどのようにつながるのかということと同時に、機能不全の原因と、それをどのように防ぐのかということを探る研究のモデルとして使うことができるのである。

Daniel A. Deforge, M.D., F.R.C.P.… 
The Rehabilitation Center Ottawa, Ontario, CAN

  「歩行障害脊髄損傷における4--アミノピリジンが歩行に及ぼす影響:二重盲検法と偽薬による、交叉実験」

  およそ半分の脊髄損傷はインコンプリートである。すなわち、怪我の部位より下のところに、ある程度の動きや感覚があり、歩くことがまだ可能であるかもしれない状態である。

  インコンプリートという怪我の状態は、神経の軸索は無傷かもしれないが髄鞘(ミエリンシース,myelin sheaths)が損傷または破壊された状態であると研究者は考えている。

  髄鞘脱落した軸索は神経信号を効率よく伝達することができない。その結果、疲労感や虚弱、感覚の欠落をまねき、それらすべてが慢性不完全脊髄損傷者の歩く能力を奪うのである。

  脊髄損傷も含め、髄鞘脱落(ミエリンの損失)に伴う状況に関する研究によって、4--アミノピリジン(4-aminopyridine, 4--AP)として知られる物質が、髄鞘脱落した軸索による神経信号の伝達を良くし、その結果、痙性(spasticity,痙縮)を減らし、筋力や感覚を増し、歩く能力を上げることになるということが分かった。

  本研究では4--APが歩行にどのように影響を及ぼすかという事に特に焦点を当てている。それによって、どの様な患者にこの薬を使えるのかが分かり、4--APと他の薬との相互作用や、歩行能力を上げるリハビリ計画でどのように使えるかが分かる。

  Deforge博士と共同研究者達は、慢性不完全脊髄損傷者を15人集め、4--APと偽薬を与える人を無作為に決めて試験する予定である。一週間後には飲む薬を逆にしてさらに一週間薬を飲む。そのようにして自分達で薬を飲んでもらうのである。患者自身も患者の周りの人もいつどちらの薬を飲まされているのかは分からないようにする。参加する患者の歩行能力は試験の一番始めの日と毎週最後の日に、運動学的に動きを分析し、さらに歩行時にはEMGという評価方法をつかって詳細に評価される。

Martin Grumet, Ph.D. New York University Medical
Center New York, NY

「細胞癒着分子NG-CAMによる神経再生の促進」

  細胞癒着分子(cell adhesion molecules, CAMs) は細胞の表面に存在し、細胞同士の相互作用を仲介する。細胞癒着分子は軸索や樹状突起の成長も促進する。 本研究では、最も強力なタイプの細胞癒着分子の一つであるNg-CAMを神経の成長を促進するために使う予定である。

  Grumet博士と彼のチームは、Ng-CAMの中で最も活性のあるたんぱく質を分離生成するために分子生物学的方法を採用し、神経の成長を試験するために二つの組織培養方式を使うことで、それらの効果を測定する事にしている。一方の方法でNg-CAMたんぱく質の神経再生促進への効果を調べ、もう一方の方法ではNg-CAMたんぱく質がどのように癒着を妨げて、大人の脊髄における成長阻害因子の活動をどのように抑えるのかということを分析する。

  最終的には実験室レベルで最も効果があるとされているこのNg-CAMたんぱく質を、脊髄損傷させたラットの生体内に用いて実験する予定である。Ng-CAMを怪我の部位に投与して、その動物の運動能力の回復を測定するために行動試験をすることになっている。

Shawn Hochman, Ph.D.
University of Manitoba Winnipeg, Manitoba, CAN
「Primary afferent-evoked synaptic plastisity
in deep dorsal horn neurons

――特徴と薬学的規制――

  脊髄損傷をした多くの人は、刺激への過敏症や脳内の痛感コントロールシステムへの損傷などが原因になって、慢性痛が残ってしまっている。効果的に痛みを和らげれば、生活の質は劇的に向上するであろう。Hochman博士は、脳と脊髄をうまくつなげる治療は、不適当な反応の抑制と運動を妨げることのない刺激との間で微妙なバランスを再び構築するということもしなくてはならないと言っている。

  この研究によって、Hochman博士のチームは、脊髄の中で慢性的な"記憶の痕跡"とも言える痛みがどのように生まれるのか、ということを明らかにしていくことになるであろう。このプロセスについて言及したからには、彼らは強力な伝達エージェント、もしくはニューロモジュレーター(neuromodulators)として知られるそれらの類似薬物のペインコントロール特性を調べることになろう。

  その物質の中にはセロトニン(serotonin)、ドーパミン(dopamine)、そしてノルアドレナリン (nor-adrenaline) が含まれ、それらは自然に脳内で出され、普通は脊髄内での痛みや動きの処理をコントロールする。

  これらの実験によって脊髄損傷者の痛みや痙性(痙攣、spasticity)を和らげる治療法ができることが期待されている。

Zaven Kaprielian,Ph.D.
Albert Einstein College of Medicine Bronx, NY

「成長中の脊髄の正中線での軸索の誘導」

  普通に成長している脊髄の驚くべき点の一つは、どのように軸索が長い距離を進路を決めて伸びていくか、適切な"選択点"を通って正確に目的地とつながるかということである。本研究では、成長する軸索を正しい道のりに導くように"スイッチ"を入れる分子学的メカニズムを明らかにすることになろう。

  Kaprielian博士と彼のチームは、胎児のラットの交連ニューロンに焦点を当てている。このクラスのニューロンから出る軸索は、新たに発見された netrins という分子に反応する。 

  netrinsは軸索を脊髄の後柱側から前柱側の正中線の方へ導く。これらの軸索の最先端、別の言い方をすれば成長円錐体は正中線に達すると、floor plateとして知られる細胞群の中を通過し、適切な角度だけ曲がって、脳の方へと向かっていく。研究者らは、これらの軸索が迷わずに進むことができるのは、交連軸索が正中線を通過していくちょうどその時に floor plate の表面で見つかる Elk-L3 という分子のおかげではないかと仮説を立てている。

  Elk-L3 は、最先端の成長細胞のリセプターに取りついて活性化させるたんぱく質の一族に属している。これらの細胞は、他の部分の神経系において軸索が自分の道を探すのをコントロールしていると考えられている。

  Kaprielian博士は、Elk-L3 分子と floor plateにおけるそれらのリセプターの相互作用が、どのように交連軸索が floor plate に出入りするのかをコントロールするかどうかということを試験する予定である。この基礎研究によって軸索の再生に大変意味のある情報が得られる可能性がある。

Barry R.Komisaruk,Ph.D., and
everly Whipple,Ph.D., R.N.,F.A.A.N. Rutgers,
The State University of New JersyNewark, NJ
 
「完全脊髄損傷の女性における膣部や頚部への
自己刺激に対する脳 (PET) の反応」


  怪我の部位以下の感覚や機能が失われた、胸部中部レベルの完全脊髄損傷の女性が、月経痙攣を起こしたり、膣部および(もしくは)頚部への自己刺激に対して知覚反応があったりするということを研究者達は発見した。

  その知覚反応には性的喚起と痛みの抑制が含まれる。その後の動物実験による発見から判断して、Komisaruk 博士と Whipple 博士は、迷走神経もしくは第 10 脳神経が、膣、首、子宮から脳へ脊髄を迂回して直接感覚を伝えるような、以前は知られていなかった路を提供しているのであろうと考えている。

  PETとMRIの脳スキャンを使って、完全脊髄損傷の女性と怪我をしていない二人の女性をモニターした試験的研究から、この仮説を支持するような証拠が出てきている。

  頚部への自己刺激によって、迷走神経が終わる脳の部分である延髄の活動が活発になった。APAのサポートによって、この普通とは違う感覚の路に関する包括的な研究のためのNational Institute of Healthからの助成金に応募する前の最後のステップとして、これらの研究者達はさらなる女性への試験的プロジェクトを完遂することになるであろう。

  もっと大規模な研究の最も重要な目的は、生殖器の感覚反応の根底にある迷走神経における神経伝達物質を特定することにある。このことは、脊髄損傷をした女性がより良い性的体験をできるようにするための治療法を見つけるための重要なステップとなるであろう。


参 考 【フランケル麻痺段階】
(Frankel Classification System)

  怪我の程度をすばやく判別するために、フランケル麻痺段階という分類システムが使われる。それによる分類は次のようになっている。

フランケル 怪我の程度
クラス .
A 完全麻痺(運動不能、感覚なし)
B 感覚は残っている
C 少し動く事ができる
(ただしあまり役に立たない)
D いくらか役に立つ動きができる
E 運動と感覚が完全に回復


                (中久喜健司 訳)


サミュエル・ファフ博士の研究室より

Walking Tomorrow 1998-9 冬号 APA 発行             

  サミュエル・ファフ博士(37歳)はAPAが支援する有望な研究者であり、カリフォルニア州ラ・ジョラにあるソークインスティチュートの発生神経生物学者である。

  APAは、彼の脊髄研究分野だけでなく、経済的な支援が不足がちな基礎研究をも支援している。

  ファフ博士は1996年よりソークインスティチュートにて規模は小さくも有望な研究を行っている。そこでは、マスター遺伝子(未成熟な神経細胞が神経組織のなかの正確な位置に定まり、体の神経循環を正しく形成させるための作業進行命令を発する遺伝子)を探すために分子生物の精巧な技法が用いられている。

  「我々の望みは、脊髄の組織をコントロール する遺伝子を明らかにすることで、いつか人間の脊髄の発達過程を再活性化させることです。今後の長い経過のなかで、この過程を理解することが脊髄の再生の治療法を導き出すことになるでしょう。」(ファフ博士)

  資金調達が厳しかった時期に、APAから助成を得たことでこの研究が飛躍的なスタートを切ったとファフ博士は考えている。彼はバークレーのカリフォルニア大学にて分子生物学博士号を取得し、博士課程終了後の研究をバンダービルド大学にて修めた。遺伝子のクローニングと遺伝子工学に優れ、1992年より著名な神経生物学者であるコロンビア大学のトーマス・ジェッセルのもとで働いていた。「幸運にも、APAが私に研究奨励金を与えて下さり、私の研究はジェッセル研究室のなかで見込みのあるものとなった。私の専門技術を神経生物学上の問題解決のために応用することができることはわかっていた。」(ファフ博士)

  APAの助成金を得て、彼は最初の運動系神経分化の分子制御についての最初の研究課題を完了した。そして、それがソークへと道を開いた。APAからの研究助成について、「ちょうど適合しただけのこと。それ以降、私は、関連があるがまた違った研究課題に200万〜300万ドルの研究資金をつぎ込んでいる。」と彼は言っている。

  この研究課題は、脊髄から筋肉に神経刺激を伝える運動系の神経細胞に焦点をあてている。運動系神経細胞は認識しやすく表示が簡単であるので研究対象にふさわしい。研究者は運動系神経の発達が、脊髄のように複雑で接近しにくい場所の神経細胞の過程を反映しているのではないかと考えている。

  さらに、運動系神経の創造を支配する遺伝子の切り替えを理解することはルーゲリッグ病(筋萎縮性側索硬化症)のような神経細胞を破壊する病気の治療法を導き出す可能性がある。

  最近のAPA助成によって、ファフ博士は未成熟で相同の細胞が、運動系の神経や他の性質を持つ神経細胞になるように指令を出す、HB9と呼ばれる遺伝子を見つけ出した。HB9の明確な機能を見出すために、ファフ研究室ではその遺伝子を持たないマウスを作り出した。そして研究者たちは、変異させたマウスが運動系の神経を持たないので、呼吸に必要な筋肉などを全く動かすことができず、脊髄の形成段階で、生き延びることが出来ないことを発見した。

  「それは我々のHB9に対する仮説を確信させるものだった」とファフ博士は言っている。

  ファフ博士の研究に対する情熱は、若い才能のある科学者たちを彼の研究室に引き付けている。そして地方の高校に、'将来の科学者は神経学の分野が面白そうだ'という興味を与えている。

  「彼は偉大な指導者だ。彼は人の扱い方を心得ており、ユーモアのセンスがあり、冷静沈着である。」と研究室の博士課程終了の研究者であるカマルシャーマ博士は言っている。

  最近、ファフ博士は骨盤と仙骨部に変異を生じる仙骨神経非形成と呼ばれるまれな遺伝的症状のことを知った。その欠陥を生み出す原因を探求する者たちは、HB9遺伝子に関わりを持つことになる。 「我々は、人間の遺伝子が機能上変化しているのか、他の突然変異体が変形の方法を悪化させるのかまだよくわかっていない。しかし、HB9が人にとって必要な重要な遺伝子であり、あまりいい加減に扱われてはならないものであることは明らかである。それは全ての遺伝子にあてはまるものではなく、主要な調節遺伝子であることの証明である。」(ファフ博士)

  ファフ博士の今後の研究課題はどのようなものであろうか?「我々は、細胞に動的HB9を再導入できるかどうかテストを始めたい。もしそれが、存在していても休止状態であったら、やめるつもりだ。」と彼は言う。

  ファフ博士はAPAの科学諮問評議会の議長であるフレッド・ゲイジ博士との共同作業で、動的HB9が幹細胞に加えられた時、どうなるかを研究しようと計画している。幹細胞は原始的でかなり柔順な細胞なので神経組織のなかでさまざまな役割を担わせることができる。「幹細胞をHB9として発現させることで、無理矢理に分化させるよりもむしろ運動系の神経になるように、その'決定'に影響を与えることができるかもしれない。」

ファフ博士の研究についての情報は、
www.salk.edu/LABS/gel-p/pfaffab2.html
で見ることができる。


                    (南部真紀子 訳)



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