V.受傷から早期社会復帰までの経緯

 通例では頸部C1〜C2部分の損傷が重症であった場合、医師も受傷者側もあきらめてしまうケースが多いようです。結局、命を失うか、恒常的にベンチレーターにつながれるかということになります。しかし、C・リーブはそうはなりませんでした。前頁の手術治療の概要に続いて、受傷から急性期−亜急性期の経過と早期社会復帰の経過を当時のC・リーブのファンのホームページ Christopher Reeve Homepage (1996年)をもとに報告することにします。

《1995年》

5月27日:
 落馬事故で頸椎の一番と二番を損傷。年齢42歳。(カールペパー医療センターに救急急送後、メチルプレドニゾロンの投与を受けて直ちにヴァージニア大学医療センターにヘリコプターで搬送。4日後、ヴァージニア大学医療センターで意識を取り戻す。6月5日:損壊した二つの椎骨を接合し、頭と首を安定させるための5時間に及ぶ手術を受ける。

6月28日:
 ヴァージニア大学医療センターを退院し、ニュージャージー州のケスラー・リハビリテーション研究所でのリハビリを開始する。

7月31日:
 ニュースで、C・リーブはなお呼吸器を使用しているが、明確に話すことが出来、電動車椅子を使うことも出来る、と報じられている。

9月29日:
 ABCテレビのニュース・ショウ「20/20」がC・リーブへのインタビューを特集。この時点で彼は、まだケスラー研究所にいたが、呼吸器の助けを借りながらも会話が出来、電動車椅子を操作して移動が出来た。彼も家族の支えを信頼し、他の彼の支援者は彼がよくなって来ていると感じていた。

10月16日:
 事故以来、初めて公式の場に姿を見せる。彼が会長をつとめる俳優の組織、創作家連盟(Creative Coalition)の代表として、ニューヨークで行われた、俳優 ロビン・ウィリアムズの受賞式に参加、連盟賞の授与を行う。(受傷後4ヵ月半)

11月最終週:
 NBCの番組「トゥデイ・ショウ」が脊髄損傷に関するシリーズを放送。その中でC・リーブと妻ディナへのインタビューを取り上げる。そこで二人は、脊髄損傷についてのより一層の研究が必要であること、ケスラー研究所を出る予定であること、保険がどれ位の期間治療費用をカバーできるか懸念していること、等を語っている。番組は「アメリカ麻痺協会」 (American Paralysis Association)についても言及。

11月27日:
 PBSが番組「イン・ザ・ワイルド (In The Wild)」のエピソード、「クコ鯨とクリストファー・リーブ」を放送。「イン・ザ・ワイルド」は3つの特別企画のシリーズもの。

12月13日:
 最終的にケスラー・リハビリテーション研究所を退院。公式に彼を支えてくれた人々に対する感謝の言葉を発表。医師団は、彼が呼吸器なしでも15分間呼吸出来るようになったと報告。ニューヨークの自宅に戻る。


 《1996年》

1月5日:
 ニュースで、C・リーブが呼吸器なしで1時間自力呼吸出来るようになったと報じられる。

1月10日:
 C・リーブの二人の子供がイギリスで「プロジェクト2000」のキャンペーンを開始。「プロジェクト2000」は「国際脊髄研究基金 ISRT」のプロジェクトである。

1月10日:
 脊髄損傷による麻痺と戦うためのNPO、クリストファー・リーブ財団(CRF)を設立。同時に慈善事業家ジョーン・アーヴァン・スミスとともに脊髄研究に貢献することを目的とした「UCI・リーブ‐アーヴァン研究センター(The UCI Reeve-Irvine Research Center)」を設立。

1月16日:
 血圧に関するトラブルを治療するため、パウンド・リッジ゛の家(ウエストチェスター郡)から「北部ウエストチェスター医療センター」へ入院。翌17日、状態は安定しており何ら危険はない旨の談話を発表。談話は以下の通り。「私は今、いわゆる自律神経過反射といわれる症状におそわれています。これは私のような高度の四肢麻痺者におきます。たいていの場合、結腸の圧迫や排尿のトラブル、あるいは足の爪が肉にくい込んだり、着衣や靴ひもがきつ過ぎたりといった、ごく単純なことからもおきます」 この時の症状は、尿路感染によるものと診断された。

1月31日:
 ニュースでC・リーブが上院議員J・M・ジェフォーズ(ヴァーモント州選出、共和党)提出の法案を支持していると報じられる。この法案は保険会社が生存中支払いの保険金の上限を1000万ドル以下に設定しようとしているのを阻もうというものである。現在では殆どが100万ドルの上限を設けている。ワシントン ポスト紙の報道によれば、現在C・リーブの医療費用は年に40万ドルであるが、彼の保険の上限は120万ドルである。 ディナ夫人は次のように言う。「私が一歩踏み込んで政策を直視するようになった時、事態は正直に言って、C・リーブが事故にあった時と同じ位ぞっとするものであった」

2月8日:
 ニュース報道によれば、C・リーブは彼の人生について本にすることを作家のロジャー・ロビンブラットとの間で契約を結んだ。この本は、1998年までには書き上げられ、ランダム・ハウス(Random House)から出版される予定である。この本の出版については300万ドルで取り引きされたと推測されている。

2月12日:
 テレビ・ショウ「エキストラ(Extra)」で俳優ロビン・ウィリアムズがインタビューに応じ、1月の新聞に掲載された「彼がC・リーブの医療費を支払うことに同意した」という報道を否定した。(C・リーブも「否定」の表明を行っている)

2月21日:
 CNNのショウ番組「ラリー・キング・ライヴ (Larry King Live)」に出演。今では呼吸器なしで、90分間呼吸が出来るようになったことを報告。また再度、保険金の上限を引き上げるための立法化を支持する意見を主張。 そして「アメリカ麻痺協会、APA」について語り、彼がその役員になっていることについて語った。 (受傷後9ヶ月)  ここでいう立法化の問題とは、ジェフォーズ上院議員によって行われている上院立法1028号に対する修正提案である。また、下院で上院の1028号に対応するのが下院立法2893号である。下院でもこれに対して、ジェフォーズ修正案と同様の修正法案が、アンナ・エショー下院議員(カリフォルニア選出、民主党)によって提案されている。

3月10日:
 オハイオ州 のセント・フランシス・ヘルスケア・センターに1800万ドルで新しく建設されるリハビリテーション・センターのための支援セレモニーに出席。これはニューヨーク以外での最初の公的場所への出席である。ここでC・リーブは次のように述べている。「我々は全面回復への道の発端にたっている。それは起こりうる。科学者達は、そのための準備が出来ており、そのために力を尽くす意欲を持ち、そしてその能力を持っている。支援を得つつ、彼らはそれを為すであろう。」 (受傷後9ヶ月半)

3月14日:
 CBSの朝のニュース・ショウで、テープに収録されたC・リーブのインタビューが放映された。その中のコメントで、彼は、1996年のオリンピックと併催されるパラリンピックに参加する障害を持った選手達を、敬意を込めてたたえている。

3月25日:
 68回オスカー賞(アカデミー賞)受賞式典に出席。その際、C・リーブはステージの上から「ハリウッドは社会的問題に取り組んでいる。」と言うことを広くアピールし、その意味で代表的な映画として、「プラトーン」を紹介した。彼は総立ちの拍手に迎えられた。彼はこの時、次のようにも語っている。『子供の頃、私や私の周りの人達は、ただ楽しみのためだけに映画を見に行った。やがてキュブリックの「博士の異常な愛(Dr. Strange Love)」を見た時、それは核による破壊の狂気について考える出発点となった。スタンレー・クレーマーの「手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)」は人種問題について教えてくれた。そして我々は、映画が社会的問題を扱っていることを認識し始めたのである。』と。(受傷後10ヶ月)

3月25日:
 CNNはニューヨーク市議会議員 スー・ケリーがC・リーブを国民芸術賞候補に指名と報道。

3月28日:
 CNNはワーナー・ブラザーズ社の次のアニメーション映画「アーサー王物語(The Quest for Camelot)」でC・リーブがアーサー王の声で出演する予定であり、またライシャー・エンターテイメントも彼に映画の監督を期待していると報道。

4月18日:
 この週のニュース・リリースで、 Tribecca Interactive社から発売される「9(Nine)」と題されたテレビゲームCDーROMで、その中の声の一つをC・リーブが受け持つ予定と報道された。

4月23日:
 上院は法案1028号を可決。しかしジェフォード修正案は否決された。4月30日:C・リーブはその環境保護活動によって、テッド・ダンソン (Ted Danson)の「アメリカ海洋保全推進運動(American Ocean Campaign)」グループから賞を受けることになった。

5月15日:
 ワシントンで脊髄研究のための資金獲得を目指したロビー活動を行う。C・リーブは十分に資金があれば、7年位の内に歩けるようになるかもしれないと信じている。 彼は、クリントン大統領とアレン・スペクター上院議員(ペンシルバニア州選出、共和党)と会い、両者から支援の約束を得た。スペクター上院議員は、上院の「労働、健康、福祉に関する小委員会」の議長をつとめており、同委員会は「国立保健衛生研究所(National Institute of Health、NIH)」への政府拠出金額を決定する権限を持つ。結局、このワシントンでのロビー活動は、NIHに対して脊髄損傷研究のために1000万ドルの追加拠出を行うという約束を引き出した。彼のワシントンでの活動のスポンサーはグッド・ハウスキーピング(Good Housekeeping) 誌であった。同誌は6月号のカバー・ストーリィとして、リズ・スミスによるインタビューをまじえたリーブ家の物語を取り上げている。

 また同じく15日、彼はNBCの夕方のニュース向けに簡単なインタビューを受けた。(受傷後11ヶ月半) 5月24日:ABCのショウ番組「20/20」は、ピーポディ賞を獲得した1995年9月のリーブ家とのインタビュー番組を再放送するとともに、若干の最新の情報を追加した。この番組は、リーブ家のニューヨーク・レンジャーズ(New York Rangers) の試合観戦の模様を紹介し、またC・リーブが「アメリカ麻痺協会(APA)」の会長になったことを報じている。この番組のビデオとその複写についての相談は、電話1−800−913−3434へ。

5月27日:
 CNNは、C・リーブがHBOで放映される映画を監督することになろうと報道。「たそがれのなかで(In the Gloaming)」と題された1時間ものの映画で10月に撮影に入る予定。(受傷後丁度1年目での企画)

6月10日:
 番組「エンターテイメント・トゥナイト(Entertainment Tonight)」は、C・リーブに関するコーナーで、彼が、「アメリカ麻痺協会」のためにプエルト・リコで開かれた週末慈善事業に参加していたことを報道。またシカゴ・トリビューン誌は、彼が重度障害者についてのHBOの特別番組「憐れみはいらない(Without Pity)」でナレーターをつとめる予定であること、また、この夏、ウィリアムズタウン劇場のフェスティバルのために演劇の演出を依頼されていること等々を広く取り上げている。

6月15日:
 新聞報道によれば、C・リーブは、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイム(Hollywood Walk of Fame)に名を記した星型を確保するであろう、とのこと。

6月29日:
 新聞報道によると、C・リーブと妻のかつての出会いの場であった、レストランが改築、新装されて彼らに進呈されることになったとのこと。7月2日:ニュースで、C・リーブがCBSのテレビ映画に出演する予定と報道される。題名は「西洋双六(Snakes and Ladders)」で、恐らく来年の放映となろう。

7月12〜14日:
 Shake-A-Leg主催のニューポート沖(ロードアイランド州)ヨットレース、ウォール・ストリート・チャレンジ・カップ(Wall Street Challenge Cup)が企画され、C・リーブも参加。Shake-A-Legは全国的な非営利組織(NPO)で、受傷後のリハビリテーション支援や、脊髄損傷者、その他神経障害を負った人々のための活動を行っている。今回の行事はC・リーブにとって、事故後初めての、海に出て船を出す経験となる。(受傷後1年1ヵ月半)

7月24日:
 PBSは、C・リーブを描いた「イン・ザ・ワイルド」のエピソードを「ネイチャー・シリーズ」の一部として再放送(1995年11月27日の項参照)。7月から数週間にわたって、テレビの特別番組「ポール・ミッチェル有名選手招待プエルト・リコ夏期スポーツ祭典(Paul Mitchell Puerto Rico Summer Celebrity Sports Invitational)」が放映された。その中でC・リーブへのインタビューも行われている。この特別番組は、プエルト・リコでの「アメリカ麻痺協会(APA)」の募金活動を紹介。7月31日ケーブルテレビMSGもその様子を放映。また6月10日の「エンターテイメント・トゥナイト」での慈善活動紹介もこうした報道の一つであったといえよう。

8月15日:
 C・リーブはアトランタで開催された1996年パラリンピック開会式典のホスト役をつとめた。試合は10日間にわたって、120の国から3500人の障害を持つ選手達の参加を得て行われた。C・リーブは6万4000人の観衆の前で語った。「皆さんを信じる多くの人々がここに集まっているということは、人生最高の贈り物であります。皆さんのまわりを見回して下さい。いかに多くの人々が皆さんの力を信じているか知って下さい」と。 (受傷後1年2ヶ月半)

8月19日:
 アメリカの雑誌「タイム」がC・リーブをカバー・ストーリィに取り上げている(8月26日付け)。8月19日(月)から始まる一週間に販売された号である。本号には、ロジャー・ローゼンブラッドによって書かれた12頁に及ぶ詳細な記事と写真数枚が掲載されている。主な内容は、脊髄損傷についての最近の研究に関するニュース、C・リーブの人生の回顧、彼の近況、等である。ロジャー・ローゼンブラットは、リーブの自叙伝執筆のため彼と共同作業中である。その本はランダム・ハウスから出版される予定である。また、この記事は、C・リーブが呼気操作式電動車椅子(クイッキーP300)を使っていることや、筋萎縮を阻止し、心機能や体の全般的状態を改善するために「Stem Master FES Ergometer」等を使用していることも紹介している。

8月26日:
 C・リーブはシカゴで行われた民主党全国党大会に出席して自らの発声でスピーチを行った。シカゴ・トリビューン紙は、彼のスピーチを実況放送形式のオンラインで流した。このスピーチで彼は「障害をもつアメリカ人の法(Americans with Disabilities Act、ADA)」の支持を訴え、医学・医療、健康管理に関する科学的研究のより一層の充実を呼びかけた。(受傷後1年3ヶ月)

* W「クリストファー・リーブのスピーチ」の項参照。

 また、 C・リーブが、10月18日にサクラメントで開催されるカリフォルニア商工会議所96年度大会でビデオ講演する予定となった。「ニューヨーク・タイムズ」のC・リーブに関する記事は、彼の保険の治療費をカバーする期間がさらに3年延長されたこと、ティルド・テーブルで立位をとる訓練で長時間立っていられるようになったこと、彼の脊骨と左足に若干の感覚の回復がみられ、呼吸器なしで90分間連続自力呼吸が可能となったこと、等を報じている。

9月4日:
 トロント・ウエスタン・ホスピタルにおける寄付を募る催しでスピーチを行った。

9月15日:
 スミス氏のサン・ジュアン・カピストラノ訓練牧場で年一回開催される馬術競技大会「オーク・フォール・クラシック(Oak Fall Classic)においてUCIとジョーン・アーヴァン・スミスが、第一回クリストファー・リーブ ・リサーチ・メダルの授与を行った。10月中旬:HBOが、障害をもった人々に関するドキュメンタリー「憐れみはいらない(Without Pity)」を放映する。そのナレーションをC・リーブが担当している。(この後のことについては、彼の自伝「STILL ME」、翻訳「車椅子のヒーロー」〈徳間書店、2000年〉を参照。)




[ 解説 ]

 C・リーブがヴァージニア州カルペパーでの馬術競技会で落馬し受傷してから、オスカー賞授賞式に出場し、劇的な脚光を浴びるまで、僅か10ヶ月。パラリンピックや民主党大会で総立ちの歓迎を受けるまで僅か1年3ヶ月。この間の経過は次のことを雄弁に語っている。即ち、たとえC1〜C2部分の重症であっても、速やかに、適切な診断が下され、優れた医師団の優れた外科手術によってタイミングの良い処置が施され、適切な介護とリハビリが行われれば受傷者の救命、社会復帰の可能性が十分あるということである。

 「ニューズ・ウィーク」や「タイム」によるとC・リーブの治療は恐らく次のように行われたと思われる。

 受傷後、直ちにカルペパー医療センターに運ばれ、フリーラジカル(活性酸素等)の発生による脊髄細胞の壊死を防ぐため大量のメチルプレドニゾロン(合成ステロイド剤)が投与された。これは受傷から8時間以内に大量投与されないと効果がないとされる。ついで、ヴァージニア大学医療センターへヘリコプターで移送された。(註:メチルプレドニゾロンの大量投与については、その効果と副作用に関する評価が専門家の間でも分かれており、米国FDAは、今日でも、急性期脊髄損傷に対する適用薬としては認めていない。)

 そこで直ちに損傷状況の慎重な診断がされ、骨折した脊椎が脊髄をこれ以上傷つけないように首と頭部安定を含めて素早い外科的処置が施された(前頁に紹介)。その際、全身検査の結果明らかとなった肺の液状貯留物を取り除き、肺をクリーンにしている。  執刀は全米トップクラスの神経外科医である。この医師団の管理下で急性期を乗り切り、早くも一ヶ月後にケスラー・リハビリテーション研究所に移る。ここには脊髄損傷者専門のリハビリ部門がある。一週間後に呼吸機能訓練専門のドクターの下でベンチレーター・プログラムがスタート。ベンチレーターの使い方と同時に、発声練習とベンチレーターをはずす訓練が開始された。並行して、呼気と吸気で電動車椅子を操作する訓練も開始される。この三ヶ月後にテレビの特別番組に登場。

 C・リーブは非常に運が良かったとも言える。 脊髄の完全断絶は免れていた。その上、機能が失われていくのを阻止し、失われたものを回復するための「時間との闘い」が極めて合理的に遂行された。続く自立呼吸機能回復を目指す訓練、筋萎縮を阻止し、心機能、肺機能の後退を防ぐためのリハビリメニュー策定、トータルリハビリ体制移行のタイミングも的確であった。それに、彼は年額40万ドル(約4400万円−当時のレート)の医療費を支払えるエリート障害者である。誰にでも恵まれる医療的チャンスではない。しかも彼はそのチャンスを生かす強靭な精神と肉体にも恵まれていた。しかし我々は彼が到達した医療水準、彼の医療プロセスを知っておく必要がある。このような情報は誰にとっても重要である。

 一方、C・リーブが踏み出した新たな一歩は世界の脊髄損傷者にとって少なからぬ刺激となった。彼は、有名人専用のガードマン付き個室から出て、多くの障害者の中に入り、「アメリカ麻痺協会」(現クリストファー・リーブ麻痺財団)の運動の先頭に立った。彼は脊髄研究センターを設立し、多くの協力者を得ながらキャンペーンの先頭に立っている。脊髄再生研究のための胚性幹細胞利用の問題提起もおこなっている。又重度障害者のための募金活動や行政への働きかけ(保険の治療費カバー率引き上げ、障害者支援の政府拠出金の増額等)に積極的に取り組んでいる。

 かつて、受傷後一年も経たないうちに、未だにベンチレーターを手放せない四肢麻痺者でありながら、C・リーブは、アメリカの選挙の季節という風をしっかりと利用しつつ、精力的にインタビューに応じ、ナレーターをこなし、映画出演や映画監督を引き受け、メディアや映画界での活動を開始した。彼の前向きのエネルギーと彼を支え、障害者を受け入れるアメリカ社会の多様性、そして彼が提起する研究の推進と情報の共有という視点は、今日なお一層示唆的である。たとえ彼が超エリート障害者である故に可能であったとしても…。今後とも、彼自身の回復過程と彼を中心とする運動の展開にいろいろな意味で注目したい。

(翻訳・解説:阿部由紀:2003年2月)




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